

―――どのような子どもでしたか?
下町の子どもだったので、わんぱく坊主でしたね。両親ともにミュージシャンで、父がギターでアレンジャー、母がピアノ。「両親が音楽家」って言うとセレブだと思われるんだけど、ミュージシャンというよりバンドマン。自分も大きくなったら音楽をやるんだろうなと思ってたから、そういう意味では普通の家とは違いました。
幼稚園児の頃からゴダイゴのレコードを買ってもらったりしてマセてましたね。小学3年生のときは一世風靡セピアとかよく聞いてたな。
―――ご両親の影響でピアノやギターを弾いていましたか?
よくあると思うんだけど、母親がピアニストだからといって母に習うとお互い感情的になるからうまくいかないんですよね。だからピアノは他の先生に習いに行っていました。でも、あまり真面目にやらなかったし、最初にやる『バイエル』がつまらなくて、2年くらいやってすぐやめちゃいました。
ギターは正直、全然やろうと思わなかったですね。自分がギターを持ってるイメージがわかなかったんです。
―――バンドネオンとの出会いは?
うちの両親はバンドネオンを使うアルゼンチンタンゴというジャンルをメインに演奏していました。実はアルゼンチンタンゴは昭和30~40年代にかなり流行して、演奏すれば結構な収入になるくらいメジャーな音楽だったんです。その当時はバンドネオンを弾く人が日本に何十人といたんですが、昭和50年代になってマイナーな音楽に位置づけられると、他の音楽ではバンドネオンはほとんど使われないから、仕事がなくなりバンドネオン奏者たちは廃業して転職していったんですね。
僕が子どもだったころの80年代には、バンドネオンでメシを食ってる人は4~5人。「アルゼンチンタンゴの仕事はあるけど、バンドネオン弾きがいない」と両親は困っていましたね。新人を発掘しようとしていたところに、あるアコーディオン奏者が「バンドネオンとアコーディオンって似てそうだから僕やってみます」と言ったので、両親は喜んでしまって、いきなりバンドネオンを買ってきてその人に渡したんです。でも、3分くらい触ってみて「すみません。ムリです。ここまで違うものとは……。」と諦めてしまい、返品するわけにもいかずそのままになっていたんです。当時、僕は鍵っ子で、退屈しのぎにバンドネオンの練習を始めたら、周りの大人が騒ぎ出して、「絶対に続けろ、才能あるから!」「演奏人口が少ないからヘタするとアジアでただ1人の新人奏者になれて、仕事には困らない」と言われたから、「じゃあやってみようかな」と半ばおだてられて始めたんですよ。
でも、そこから先がいばらの道でした。習える先生がいないし、教材もない、楽器が壊れたりしたらどうしようもない。最初の2年間くらいは自己流で頑張っていましたね。80年代の半ばごろは、LPからCDに変わりつつある時代で、売れない音楽のCD化は後回しになるというような状態でした。タンゴは売れない音楽だったから、お手本となるようなプロの演奏が手に入らないのも苦しかったですね。アルゼンチンからバンドネオンの人がツアーで来るときには、ホテルに行ってワンポイントレッスンを受けたりしていました。
高校を卒業したらアルゼンチンに留学に行こうと思っていたんですけど、そのときは本当に唯一の新人バンドネオン奏者になってしまっていたから、「お前がいなくなったら仕事ができなくなるから、1ヶ月以上は行かないでくれ。」と言う人が続出しちゃって。渋々3週間だけ留学しました。その後もアルゼンチンにはちょくちょく行きましたが、向こうで仕事があるという状況だったりしたので、何度も行ってるのにアルゼンチンでゆっくりしたことがないんですよね(笑)。
実は一度もちゃんと習ったことがないというハンディキャップを背負いながらこの年にまでなってしまったんですけど、逆に言うと全部自分で切り開いてきたという自負はあります。良かった部分も悪かった部分もありますね。
―――現在、プロのバンドネオン奏者は何名くらいいるのですか?
90年代にアストル・ピアソラという人の「リベルタンゴ」がリバイバルヒットしたときに、バンドネオン奏者が少しだけ出てきていました。あとは、僕がテレビに出るようになってからプロになった人が10人くらいいますが、トータルで見たらものすごく少ない。僕のところに習いに来た人に関しては、全員が楽器を持っていなかったから、楽器を貸してあげて、レッスンして、楽器を売ってる人を紹介して、売るときに立ち会ったりしてました。
日本は昭和30年代にタンゴブームがあったから、最近のヨーロッパと比べるとバンドネオンが買えるほうなんですよ。しかも最高級品が30~40万で手に入ったりする。プレーヤーの人数が少なくて楽器の取り合いが起きないから、値段がつり上がることもなければ値崩れすることもせず、昔のままの値段という不思議な現象が起きています。
―――バンドネオンの良さとは?
異様な楽器なんですよ。ドレミファが並んでなくて規則性がない。パソコンのキーボードと似ているんですが、最初はなぜその配置なのかがわからないんですよね。「この音がどこ」と、ひとつひとつ丸暗記してからやっと弾けるようになるので大変ですね。それを面白いと感じる人とこれは大変と逃げる人がいるんです。
音域は5オクターブあります。小さく見えるけど、ピアノの端と端がないくらいの音の高低幅があるんです。音はアコーディオンとは全然違いますね。見た目はアナログに見えるんだけど、音はエレクトリックで鋭い。アコースティック感とメカニカル感が混在しているのも魅力です。
アコーディオンとルーツは同じで、ドイツのアコーディオンを作っている楽器商のハインリッヒ・バンドが発明しました。楽器屋さんって、新しいものを開発するときに2つの楽器を混ぜ合わせることが多いんですよ。サックスが木管楽器のリードと金管楽器のボディを合わせたものみたいに、バンドネオンはアコーディオンと教会にあるようなパイプオルガンを混ぜて、持ち運びを便利にした
もの。それがアルゼンチンに輸出されて、アルゼンチンの人たちのアイディアを盛り込んだものが、現在のバンドネオンなんです。アルゼンチンの民族楽器と思われがちなんですけど、もともとはタンゴともラテンの世界とも全く関係ないゲルマンの楽器です。
それと、よく間違われるのがフランスに多いボタン式のアコーディオン。「ボタン式のがバンドネオン、鍵盤が付いてるのがアコーディオン」だと思っている方も多いようですが、「縦長で顎までくるものがアコーディオン、真四角なのがバンドネオン」と見分けるほうが正しいです。
―――タンゴのプレーヤーとして気を付けていることは?
繊細さも大事にしたほうが良いんですが、まずはパワーですね。繊細だけどアグレッシブさがないよりは、繊細さはないけどアグレッシブなほうがまだ良い。優しくて繊細なだけだと、退屈で冷たい感じなんですよ。
実はアルゼンチンではそういうプレーヤーが増えてきていて、世界的に若者の無気力感を感じます。僕はパワーがあるこそ繊細さが際立つと思っているから、絶対そうはなりたくないですね。
―――どのように作曲するんですか?
僕の場合は、「こういう曲を作ってほしいんですけど」とオファーされたものを作る感じが多いですね。「なんでもいいから作ってみろ」って言われるより、「悲しい曲」「かわいい曲」みたいにお題をもらったほうがやりやすいですね。テレビ局からの依頼の場合は、「明後日までに」とか締切がシビアなんですが、不思議と締切や制約など条件が厳しいほうが力が出たりするんですよね。制約があるからこそ面白さが生まれる。
バンドネオンそのものに通じるところがあるんですが、何をするにも「便利じゃないほうがいい」「苦しいほうがいい」ということですかね。最近は譜面も書かずにパソコンで全ての音を打ち込んで、それをそのままCDにしたりテレビで流す人もいますけど、あの便利さで人間力が落ちてしまって良い曲が出てこないという問題はあると思います。わざわざギター、バイオリン、ピアノとそれぞれ集めたりすると時間が掛かるし、合わせて演奏して誰かが間違えることもあります。もちろん、お金も掛かります。でも「あーでもない、こうでもない」と時間を掛けて悩まないと、面白いものなんて出るわけがないと思っています。だから僕はわざわざ手で書いて、わざわざ人を連れてくるという昔ながらの方法でやっていますね。
―――世界をまわってみて感じる日本との違いは?
それぞれに良いところ、悪いところがありますよね。日本は隅から隅まで予定を立てて、いちいち話し合って物事を進めるけど、ラテンアメリカに行くと、打合せ、話し合い、約束はないに等しくて、日本人から見ると無法地帯に見える。
東京のシビアな雰囲気って世界でも類を見ないと思いますよ。東京のお客さんは慎ましやかでシャイで厳しい。よっぽど面白いことをやらない限りは、手拍子ひとつ出ない。そんな国で鍛えられて、ラテンアメリカに行ったら楽勝なんじゃないかなと思いますよ。彼らの感受性の強さはものすごいですね。ノリが良くて、日本人みたいに「本当は感動してるんだけど、声を出すのが恥ずかしい」という感覚が全くない感じですね。
だから、両方の良いところをうまくとっていければ良いと思います。
―――「伝える」とは?
僕のコンサートに来てくれたお客さんに対しては、小難しい説明とか、上から目線とか、自分のことを理屈っぽくわかってもらうことは避けて、なるべくわかりやすくして、タンゴを好きになってもらおうと思ってます。「音楽だから、面白いか面白くないかで判断される」ということは、いつも肝に銘じていますね。タンゴは一般的に見て少数派の音楽ですから、「自分がつまんない演奏をしてしまったら、タンゴがつまらないと思われてしまう」。そんな覚悟でやってます。理屈抜きに「良いな」って思わせたいし、演奏的には感情に訴えかけたい。
音楽は「面白きゃいい」っていうのも真実ですが、ある程度知的教養をつけてマニアックにならないと楽しめない部分もあります。だから、僕のコンサートでは、「子どもに勉強すると楽しい」とうまく思わせる先生みたいに、バカなこと言いながらもいつの間にか楽しませて、お客さんには色んなことを覚えて帰ってもらおうと思っています。お客さんもせっかく好きになったなら、そこから1歩2歩前に進んで、難しくてわからなかったことを感じられるようになったほうが、音楽をもっと楽しめると思いますよ。
鋭く、力強く、どこか懐かしいバンドネオンの音色。
ドラマティックな小松さんの演奏に、取材陣一同聴き惚れました。

小松亮太 (こまつ・りょうた) 【バンドネオン奏者】
東京都生まれ。14歳よりバンドネオンを独習。1998年7月にソニーより衝撃的なCDデビューを果たす。タンゴを若い世代にブレイクさせる引き金となり、同年のツアーでは圧倒的な人気を得た。以後、自身のユニットで多数の公演をこなす一方、自らのプロデュースによる意欲的な企画の公演も行っている。
現在、15枚のCDをリリースし、「ライブ・イン・TOKYO~2002」はアルゼンチンで、また『Tangologue』はアルゼンチンとブラジルの両国で発売され、好調なセールスを記録している。
これまでに宮沢和史、織田哲郎、葉加瀬太郎、大貫妙子、ミッシェル・ルグラン、小曽根真、夏木マリ、NHK交響楽団など多数のアーティストと共演。海外公演もブエノスアイレス、ドイツ、韓国をはじめさまざまな国で行われ、熱狂的な反響を呼んだ。著書に『小松亮太とタンゴへ行こう(旬報社)』がある。
小松亮太オフィシャルサイトhttp://www.ryotakomatsu.com/
<公演スケジュール>
■「小松亮太 with ラスト・タンゴ・センセーションズ」
6月4日 関内ホール(神奈川県)
お問い合わせ:KMミュージック 045-201-9999
http://www.kmmusic.co.jp/
6月9日 下関市民会館(山口県)
お問い合わせ:メロディー音楽企画 083-231-7898
http://scpf.jp/event/2011/03/mihimarugt-mihimalive10.html
■「イマジン七夕コンサート 2011」
奏で、歌い、踊る!ただものではない、究極のエンターテイナーたち
7月7日 サントリーホール(東京都)
お問い合わせ:コンサートイマジン 03-3235-3777
http://www.concert.co.jp/special/tanabata2011/