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松岡 亮 / 絵を描く

―――どんな子どもでしたか?
 元気な子供でしたね。絵を描いたり、注射がイヤで脱走したり、園庭の陰で紙を燃やして、その火柱が見つかって怒られたり、好きにやっていました。悪いことしようというよりも、ただ楽しかったんですよ。
 子どもの頃の思い出ははっきりとは覚えていないんですが、「愛されていた。」ってことはすごく覚えています。とにかく楽しかった。最近娘ができて一緒に過ごす時間、娘が何に興味があり、何が好きで何が嫌いかということよりも、「この子は「何かを」「誰かを」愛しているのか?「何かに」「誰かから」愛されているのか?」ってことを考えます。運動神経がなくても、バカでも、「親に愛されています。」って言える子は幸せだなと思いますからね。子どもの頃の思い出って20代の時にはあまり考えてみなかったけど、娘ができて思い返してみると「愛されて、愛して」ってことなのかなって気がします。

 

 

 

 

―――子どものころから絵を描くのは好きでしたか?
  父親も母親も洋服を作る仕事でしたが、絵を描くのが好きな人で一緒に描いていました。父は漫画というよりデッサンでガツっと描くので、鉛筆1本で目の前の白い紙に立体がぶわっと浮かび上がることにとてもびっくりした記憶があります。おもちゃで遊ぶより紙と画材で遊ぶほうが刺激的な遊びだったんです。

 

―――絵を仕事にすると意識し始めたのはいつですか?
 高校のときはラグビーをやってたんですけど、絵を描くことも生活の一部になっていて、ずっと描いていました。でも、その頃は当然仕事でもないしお金を稼げるようなものではなかったです。高校を卒業後に旅に出るようになり、旅先で描いた絵を東京に持ち帰って「これ南米の絵日記」「これニューヨークの作品」って友人たちに見せていたんですが、だんだん見せる人が増えてきてめんどくさくなってきたので、よく行くバーの壁に全部貼ってみんなに一度に来てもらうことにしました。そんな風にして飾ってある絵について喋っていたら、「この絵をCDジャケットにしたい」「Tシャツの柄にしたい」と言う人が少しずつ現れ始めたんです。自分はそのままでいるのに、それを仕事にしてくれたり広げてくれる人がいるんだって知りました。
 それから原画を買ってくれる人が出てきたりもしました。同じようなことをパリやベルリン、大阪や香港でもやったりして、広がりはありましたけどやっていることはやっぱりその頃と何も変わらないんですよ。商売というより好きで描いて、それを好きでいてくれる人がいるんです。

 

―――ワークショップではどんなことをするのですか?
 まずはデカい紙を用意して、ガキんちょ達を集めて、12色入りのクレヨンを一人ずつに手渡しながら、「これからの2時間でお前らの一生が始まり終わる。この12色のクレヨンを2時間以内に全部使い果たせ!」って伝えるんです。それを聞くと、子供たちは気分がお絵かきお遊びじゃなくなって身震いするんです。それを始めに伝えないと、ピンクや赤だけで描こうとしたり、上手に描こうとしてしまうんです。ヤンチャそうな小学生の男の子なんかが「そんなのガーーーッとやったら10分で終わる」とか言うんだけど、「お前の人生はそんなもんか? もっと美しく遊べ。お前の人生を楽しめ!」って言うとまたブルブルッと身震いして、2時間かけて12色をきれいに使い果たすんです。何の制限もなく走り回って遊び倒して、そこにきれいな絵が生まれる。それを写真で記録し、発表していたらいろんなところから声が掛かるようになったんです。
 でも本当は僕がいなくても全然いいんですよ。誰かが子どものスイッチを少し変えてあげるだけで子供たちは自由に動き出すんです。お父さんやお母さんたちが周りから「ほら、ちゃんと描きなさい」「今日だけはぐちゃぐちゃに描いていいのよ」「早く描きなさい」て言うのはダメですけどね。そんな事言われたら、子どもの想像力は0%になっちゃいますよ。
 子どもにクレヨンを使い果たせって言っても、始めはちまちまっと描いている子も中にはいます。その子が描いた絵の上を僕のラインが通過していったりすると、ハッと息をのんで焦ったり、イヤな顔をしたりして傷つくんだけど、10分くらいするとその子が隣の子の絵の上に、ぐわぁーーーっと入っていってコミュニケーションを取り始めるんです。そんなこと全く考えず、遊びとして始めたものだから結果論なんですけどね。教育とも思ってないから、ワークショップを申し込まれたときには、「お絵かき教室じゃないし、教育でもない。クレヨンで汚れるし、きれいな絵の描き方は一切教えません。遊びだから」って言ってます。

 

―――絵を描くときには、絵がみえているのですか? コンセプトが先にあるのですか?
 ちょっと前までは取材されても「コンセプトはないし、できあがり像はないし、題名もないし、全く何も考えてない」って簡単に適当に言っていたんですよ。でも最近その答えってすごく不親切だと思うようになったんですけど、うまく答えられなくて……。なんとなく、旅みたいな感じですかね。「旅に出よう」と決めて、飛行機か船か歩きか、美しいほうを選択して進んでいくような。40代くらいになったら上手く言えるようになるのかな。「よくわかんないっす」って言ってた20代とか30代前半はかっこつけてるように思われてたかもしれない。でも本当にわからなくて、描くことだけがそこにあった。
 絵がわかりづらいんじゃなくて、僕がわかりづらいのかもしれません。絵って言葉と同じで切り取り方によって感じ方も違いますからね。何かわからない種を植えてゆっくりと芽が出て「なるほど」、木になって「わっ、実がなるんだ!」「デカッ! 木陰涼しい~」みたいなことなのかな。僕は水をあげてる途中のひとりで、「この木は……」って説明なんてまだできない。嘘っぽい気がするんです。

 

―――今回展示してある作品は13年前のものとのことですが
 本当は3月11日以降に描いた絵を展示しようと思っていたんですが、まだなんというか生々しく感じてしまい発表できなかった。3月11日以降に今と今までを強く考え感じる時間が始まり、そしたら13年前に描いた絵がどうしても見たくなったんです。
 5年後10年後に描いた絵を観たときに、さっきの木の話みたいに「あっ、そういうことか」って何かを感じるのかもしれない。同じものなのに違ってみえる。音楽もそうだけど、人が年を取って絵だけ若いままなんじゃなくて、一緒に年を重ねてくれるように感じるんです。日常の一部、日記、記憶、記録なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――描きたくなるとき、描きたくないときってありますか?
 「描きたいから描く」とか、「描きすぎたから描きたくない」みたいなのがないんです。食事をしたら歯を磨く。歯を磨くように絵を描く。というのかな? 描かないのは、飲み過ぎたときに歯を磨かないで寝てしまうような感覚。描けないとかじゃなくて、うっかり忘れちゃうような。
 人に会って、酒飲んで、旅して、絵を描いて、遊んで、もの作って。それがここ20年くらいずっと続いていますね。本当にありがたいことですよね。楽しい遊びです。

 

 

 

 

 

 

―――絵以外の作品として刺繍も発表されていますが
 母親がずっと洋裁をやっていたこともあり、「やりたい」「やりたくない」という以前に、赤ちゃんのころから隣で見てきたもので、絵と一緒に子供の頃から遊びとしてやってたんです。
 母親のためにブックカバーを1つ作ったら、それがなかなか楽しくて、いつの間にか100個作ってしまいました。そして知り合いに「どう?」って見せたら、「売りたい」っていう人が出てきたんです。そして原宿のdoaratというお店で刺繍の作品を発表したら、「それ、面白い!」って言ってもらえたんですよ。絵と同じで自分にとっての日常の遊びが広がっていく喜びでした。

 

―――画材は何を使っていますか?
 今日展示しているのはオイルパステルを使っていますが、最近はアクリル絵の具が多いです。ずっと油でやってたんですけど、90何年かに新宿のバーニーズ ニューヨークのディスプレイの制作をやったときに、「アクリル乾きやすくていいぞ」ってそこのおじさんに教えてもらって、それ以来アクリル絵の具を使っていますね。僕、芸術系の大学とか一切行ってなくて、子どものころ父親に教わったものでしか描いてなかったから、画材のこととか全然知らないんですよ。
 アクリルは、速乾性もあるし、ディスプレイにも野外にもライブペインティングにも良いから使ってるけど、特にこだわりはありません。油を使ったり、色鉛筆を使ったり、ボールペン使ったり、その場にあるやつで遊んでます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――どうやったら絵を描くのが楽しくなるのでしょうか?
 今までは「描けばいいじゃん」って適当に答えていたんですが、でも違うんだろうなー。だって無感覚や無感動で描いていても面白い筈がないし。なんだろう……。紙に赤い絵の具で線を引いてみれば、その瞬間、その線は自分のラインになる。みんなに同じことやらせても、どれひとつとして同じラインなんてない。それってすごいことでしょ。まずはそれに気付き、そして興味を持つことですね。そうすると楽しめる事に繋がっていくんじゃないかな。
 例えば、ギターってポンと渡されても弾けなくて、基礎までいくのにみんな当たり前のように練習しないといけない。「絵って誰でもいきなり描けていいですよね」って言われるんだけど、僕は毎日描いている。喋る以上に絵を描いて過ごしてる。実は絵もギターと同じで、ある程度描き続けたあとに自分の表現で遊べたりする。ある瞬間からすごく楽しくなったり苦しくなったり、そして全部ひっくるめて楽しめるところまでいけば、その先に進めるのかもしれませんね。

 

―――松岡さんにとって「伝える」とは?
 絵に関して言うと、あまり急いだサービスはしないことですかね。新橋の居酒屋で隣で飲んでるおっちゃんに「松岡亮です。○○出身で、絵を描いてて、○○で、○○で」って並べ立てて自己紹介しても盛り上がらない。なーんもないまっさらな状態で天気の話したり、「あざーっす!」とか言いながら飲んでるほうが、だんだんとその場を分かち合えたり、感じ合ったりするでしょ。
 絵もそうだと思うんですよ。題名を付けたり、カテゴリー分けしたり、説明したりしなくても、「あなたはどう思う?」と言ってゆっくり話していれば、少し面白みがわかったりする。人間と違って難しく感じてしまうのは、絵は喋らないし動かないと決めつけているからかもしれないですね。新橋のおっちゃんはめんどくさいと決めつけているようにね。でも、誰に対してもこっちがぶっきらぼうだったら何も話してくれないでしょ。絵も一緒です。新橋のおっちゃんに、いきなり「お前、仕事は何で、どこで働いていて、お前は誰だ、この野郎」って言ったら怒るよね。乾杯する感覚で見つめ合えば、人も音楽も絵も喋ってくれるのかもしれない。すべて、そんな気がするんです。まぁ僕だけの考えですが、子供にはそう伝えたいです。

 

 

 

 

 

 

 

取材が行われたのは奥様や娘さんなどが見守るアットホームな雰囲気のギャラリー。この取材のために描き下ろしていただいた絵の迫力に、取材陣一同息を呑みました。

松岡亮

松岡亮 (まつおか・りょう) 【絵を描く】

幼少期より絵を描きはじめ、自らの肩書きを『絵を描く』と称する。 色と線によってただただ美しさと遊び、自分にできること(描く事)をシンプルに続け、インスタレーション、壁画など多岐にわたり、最近は刺繍での作品なども発表している。ジャンルもアパレルやインテリア、デザイン、空間などさまざま。 2004年には、YOHJI YAMAMOTO paris collectionでのクリエーションに参加。2005年には、映画『smoke』の脚本で知られる、ポール・オースターの詩集『壁の文字』の表紙絵を制作。 L’ECLAIREUR(パリ)、pop-comm(ベルリン)、Calm&punk gallery(東京)、大道旧山本家住宅(大阪)、福住画廊(大阪)、joyce(香港)など、国内外を問わず活動を続けている。
松岡亮オフィシャルサイト

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