
―――どんな子どもでしたか?
私はスリランカのコロンボという首都で生まれました。海から3軒目で、小学校に行く前によく海岸で散歩をしていました。地引き網漁をしている漁師さんを手伝うとご褒美に捕れた魚をくれて、持って帰ると母がすごく喜んでくれるから、学校のベルが聞こえても手伝っていました。褒められるのが好きで、特に母に褒められたかったんですね。
地引き網漁では食べられないものも捕れちゃうから、そのへんにポイ捨てされます。スリランカは暖かい国だから腐って臭いんです。自分が大きくなったら、アジのボタンを押したらアジだけが集まってくるような機械を作りたいと思って、学校でその話をしたんですが、みんなに「そんなことできるはずがない。そんなことできるならとっくの昔にやってるだろう」とバカにされてしまった。
ずっとそのことが頭に残ってて、大学卒業後はセイロン政府水産庁に入ったんですけど、水産庁でも研究をさせてくれませんでした。水産庁としては、日本の船がインド洋でマグロを捕っていくから、スリランカの漁師たちにもはえ縄漁を教えてマグロを捕らせることのほうが大事でした。小さな船とはえ縄を与えられて、毎朝魚を捕ってこいって言われるんだけど、大学を出ただけで何の経験もないのにできるわけがないんですよ。そもそもその小さな船じゃ、マグロがいるところまで行けなかった。3ヶ月くらいやったんだけど、捕れたのはほとんどサメで、マグロは1匹も捕れませんでしたね。
私たちにはえ縄の使い方を教えてくれたのは、国連にいた日本人なんだけど、一緒に船に乗って教えてほしいと頼んだら、「こんな暑い海で、お前たちみたいなど素人と一緒に行きたくない」と断られて、海外留学を勧められたんです。どこの国に行けば良いのか決めるために、魚の年間水揚げ量が多い国を調べたら、1960年頃は1位がロシアだったんだけど、あの当時は共産主義で緊迫していたから、2位のカナダか3位の日本に行こうと思いました。両方の試験を受けてみたら、日本の文部省の結果が1日早く出たので日本に来ることにしました。
筆記試験も面接も合格通知も全部英語で頂いていたので、英語が使える国だと思って気楽にやってきたら、「2年間奨学金をあげるから日本語を勉強しろ」と言われてしまったんです。私は戦後の国費留学生の第2期。敗戦国に「日本語を勉強しに来い」って言っても誰も来ませんよね。だからあえて日本語しか通じないとは知らせてなかったんです。日本人は絶対に嘘はつかない。けれど本当のことも言わない。それがいまだに日本人を好きな理由。政府もそうじゃないですか。どっちが悪いんだろうね(笑)。
―――日本語を話せないまま日本で暮らし始めたんですね。
そう(笑)。担当の人も謝っていましたね。まずは3週間、渋谷のスパルタな日本語学校に通いました。私の今の日本語の土台は全部そこで培われたと思ってるくらい厳しくて、3時間クラスで勉強したら、家で7~8時間勉強しないとついていけない。15人いたけど、3週間後に卒業したのは私とカリフォルニア大学出身の2人だけでした。
どうにか文部省に試験を受けに行って、東大農学部の大学院に入学することができました。海洋生物学を専攻して、2年後にマスターを取ったんですよ。その間に日本人と結婚して、スリランカに帰国した。でも妻がどうしてもスリランカの気候に合わなくて、虫に刺されるとアレルギー反応が出てすごい傷になる。離婚して妻だけ帰国してもらうことも考えたけど、まずはスリランカの文部省に相談してみようということになりました。奨学金をもらった年を聞かれたので「1961年」と答えたら、担当者が笑ってるんです。笑い事じゃないと思ったら、1961年と1962年の書類を保管していた小屋が燃えてしまって、書類が残ってない。だから私の契約はなくなっちゃったんです。そこで再び来日して、そこから日本に居着いちゃった。
―――大学ではどのようなことを研究しましたか?
光の波長によって、どんな魚が集まってくるかの研究です。私がその研究を始めるまでは、魚は色分けできないと思われていたらしいんですよ。ただ、ある研究者が魚の目の中にも色分けできる機能があると発表したので、魚と色の関係を研究しました。
魚を集める光は当時は白だけ。白のなかに7つの色があるから、色をわけて試してみたら、行動と色に傾向が見られた。集めるときには興奮の赤を使って、収穫量を増やすためにいったん落ち着かせる色を使ったほうがいい。今の光を使った漁業の基礎は私が考えたのに、日本だから手柄は大学と教授のものになっちゃったんです。アメリカなら特許を取って、今頃は大金持ちだったでしょう。
ただ、お金がなかったから、私はアルバイトとして英会話講師を始めた。それがタレントになるきっかけだったから、世の中何があるかわからないよね。
―――日本の英語教育についてどう思いますか?
始める時期が遅いですね。中曽根文部大臣(当時)が英語教育を見直そうと考えて開かれた懇談会で、日本人15人と外国人5人が集まって意見交換をしました。外国人はみんな「英語は最初からやらないとダメです」と言ってたんですけど、日本人は口を揃えて「日本語もままならないのに英語をやったら混乱してしまう」と言って反対した。
最近になってわかったんですけど、子どもの頭って10歳で固まっちゃうんですよ。その前に言語教育をしなくちゃいけないんです。外国では2カ国語、3カ国語は当たり前。スリランカでも共用語は英語だったけど、私も当たり前のようにシンハラ語とタミル語を喋れるんですよ。4つ目5つ目にも壁がない。だからライフワークとして、子どもたちに文法じゃなくて楽しく英語を勉強できる方法を教えている。最近やっと文部科学省も重い腰を上げて今年から小学4年生から英語教育を必修にしました。
これまでの日本の英語は受信するための英語だったんです。外国の資料を読むためのものだから、文法が大事だったんですけど、日本は経済大国になったから発信する英語が必要になってきている。だから英会話の勉強に必要なのは、相手に尋ねることよりも「自分はこういう者だ」と言えるようになること。
使わないと言語はどんどん抜けていくから、私の教室に90歳になっても通っている方もいます。そんな私もスリランカに帰ったとき、実家のメイドに「水を持ってこい」と言ったのに全然持って来ない。イライラしてたら母に「うちのメイド、日本語わからない」と言われてしまった。スリランカの言葉を使っているつもりが、無意識で日本語を使ってたんですね(笑)。子どものときに使ってた言葉でも、使ってないと抜けちゃうんですよ。
「S・V・O」なんて後でいいんです。私だって未だに「て・に・を・は」の使い方が怪しい。最近は結婚式の司会をすることも多くなってきたから、気をつけるようにしてだいぶ改善されました。声を出して読むことも非常に良いですよ。自分の声を自分の耳に流すと効果的なんです。
―――「ワンポイント英会話」出演のきっかけは?
渋谷の英会話学校で教えていたときの生徒のひとりが、有名な番組製作会社のプロデューサーの奥さんで、当時はテレビの世界なんて憧れの時代だったから、「一度でいいから出してほしい」と頼んだんですけど、旦那さんに「英会話講師なんかテレビに出せるか」と怒られちゃったらしいんですね。「悪かったな」と思ってたら、「テレビで旦那さんの通訳をやってほしい。顔は出るかわからないけど、声は多分出るから」と言われてやったら、顔も声も出ずにテロップでした。「二度とテレビの仕事なんかやるもんか」と怒ってたんだけど、なぜか仲良くなっちゃって、「ズームイン朝」のワンポイント英会話コーナーを紹介してもらいました。
実は最初から私に決まってたわけではないんです。企画段階では、金髪碧眼の女性を歩かせて、サラリーマンに英語で話し掛ける予定だった。でもオーディションをやったら、誰もやりたがらなかったんです。あの当時3~5分っていったらお金もらえないって思ってるし、朝早くからだからアメリカ人はやりたがらない。3月5日にオンエアが決まってるのに、2月になってもまだキャストどころかタイトルも決まってない。日テレが企画を通す前に、シミュレーション
VTRがほしいと言うから、シミュレーションだけの出演ということで私が出ること
になりました。
2月だったから、「Where can I pay my tax ?(税金はどこで払えますか)」と街ゆく人に話し掛けるんだけど、誰も止まってくれない。仕方なく向こうからやってきたおばさんの手を握って、taxを強調して言ってみたら、「おーけーおーけー!」と私の手を引いてタクシーに乗せた。私が何も言わないから、タクシーのドアが閉まってタクシーが行ってしまうのがシミュレーションVTRの終わり。それを日テレに見せたら、「この人だったらやりましょう」ってことになったんですね。
「ワンポイント英会話」は15年間続いたんですけど、どの人も印象的ですよ。みんな逃げちゃうし、それをなんで追いかけてるんだろう、って思ってました。止まってくれる人には感謝していましたね。あんな早朝に、私だったら止まらないよね。殴られなかったのが不思議なくらいです。
未だに探している人がいるんです。そのときの英語は「How far is airport ?(空港までどれくらいの距離ですか)」で、その人はずっと考えてたんだけど、ADの人が30秒というフリップを出したのを見て、「30秒」と言っちゃった。スタジオでは「あの人なんか変だね」って言われてしまって、次に出たのが15秒のフリップ。またその人が「15秒」と言ってしまったのに、「それは私に出された中継の残り時間のフリップですよ」って言えなかった。謝りたいから探しているんですよね。
―――仕事をするうえで気をつけていること
ワンポイント英会話が始まって10年目のときに、日テレのスタッフに「未だに緊張している。私はこの仕事に向いてないんじゃない?」と言ったら、「その緊張感が大事なんですよ」と言われたんです。慣れると手を抜くようになるからダメ。緊張じゃなくて、緊張感を持って仕事をやらなくちゃいけないって思ったので、それだけは気をつけています。
―――「伝える」とは?
「教える」ということは、自分の知識の一部を相手に「伝える」ということです。そのときに口だけじゃなく、心で伝えなきゃいけない。言葉だけのコミュニケーションはフィーリングがないから、コミュニケーションにならないんです。言葉がなくてもコミュニケーションはできるけど、言葉があっても心がないとコミュニケーションできないこともある。だから私の好きな言葉は「心」なんです。心、意志(will)があれば、方法を見つけるのは簡単だと思うんですよね。
―――いま伝えたいことは?
日本人はもっと自信を持って自分のことを話してください。自分の夫や子どもを褒めないっていう日本人特有の気質が語学にも出てきている。何度も「うちのバカが」なんて言ってたら、子どもが「じゃあ見せてやろう」とバカになっちゃう。だから人、特に身内を褒めてほしい。褒めるようになったら、人間関係がうまくいきますよ。
英会話のイメージが強いウイッキーさんですが、実は海洋生物学で博士号を取得していらっしゃいます。ウイッキーさんが来日していなければ、今の漁業が変わっていたかもしれないと思うと日本との縁を感じますね。

A・ウイッキー (A・ういっきー) 【タレント】
スリランカ生まれ。国立セイロン大学を卒業し、1年間、セイロン政府水産庁に研究員として勤務した後、1961年、日本の文部省の国費留学生として来日。東京大学農学部大学院に入学し、海洋生物学を専攻。1969年には博士号を得る。 1979年3月より15年間、日本テレビ「ズームイン朝!」で「ワンポイント英会話」のコーナーを担当して、お茶の間の人気を獲得。1983年から2003年まで奥羽大学教授として勤務。 現在は、島根県立大学客員教授、コミュニティクラブ「たまがわ」、東武カルチャースクール等で英会話を教える。また、全国各地において「講演」などでも活躍中。特に結婚式披露宴の司会は大変喜ばれている。