表現フィールドリサーチ

文字にならない言葉を書く? カメルーンの路上で見つけた表現するよろこび

文字にならない言葉を書く? カメルーンの路上で見つけた表現するよろこび

Text:Mariko Sugita
Photo:Mariko Sugita

音声として発するけれど、文字として書かれることはない言葉。
そう聞いて、あなたはどんなことを想像しますか?
「話すこと」と「書くこと」は、多くの場合同じ言語で行われます。話すために使う言語にはそれに対応する文字が存在し、書くこともできる。もはや当たり前のことすぎて、意識することはないでしょう。

でもそれは、ひょっとしたら私たちだけの常識なのかもしれません。
例えばカメルーンには、さまざまな民族による200以上の言葉が存在します。その多くが文字を持たない言葉です。ラテン語やフランス語のアルファベットを音に当てて書くこともあるといいますが、それはあくまでも話し言葉です。

かつて植民地としてイギリスやフランスに占領されていたカメルーンでは、英語とフランス語が“公式な”言葉として使用されています。しかし、民族や出身地が同じコミュニティでの日常会話ではこうした現地の言葉が話されます。これらの言葉は本や文書などに書き起こされることはほとんどありません。


文字のない言葉をあえて文字にするとしたら、カメルーンの人々はどんな言葉を書くのでしょうか?そんな好奇心から、カメルーンの首都・ヤウンデの街角で紙とペンを手に、フィールドリサーチをしてみました。文字を持たない言語を、一音ずつアルファベットに当てて文字にしてみる。そこには一体、どんな言葉があるのでしょうか。

 

 

01“何を書こうかな” 家族と話す言葉を、初めて紙に書いてみる

名前:アソグ(Assong)
年齢:27
出身地:カメルーン中部
宗教:キリスト教

27歳、スタートアップ企業で働くアソグさんは、華奢な身体に数ヶ月後に出産を控えた大きなお腹をかかえて、自信たっぷりに街中を闊歩していました。

妹1人、兄2人。家族とは、出身地の村の言葉であるビソ語を話すといいます。仕事場や日常生活ではフランス語、加えて流暢な英語も。カメルーンでは、彼女のように3つの言葉を話すトリリンガルが普通です。片言のフランス語で話しかけると、嬉しそうに笑ってくれました。

「この言葉、紙に書くのは初めてかも」そう言いながら彼女が書いてくれたのは、飾り気のない、日々の言葉。「Wa Vebe? = 君、起きた?」「Odama! I Ne Ka? = こんにちは、元気?」

家族とのやりとりに使う日常の言葉。紙には素朴な言葉たちが並びます。私でも覚えられるよう、言葉を選んでくれたのか、丁寧にフランス語の翻訳もつけてくれました。

02写真にどうしても写りたくて、後ろから付いてきたムスリムの青年男性

名前:ムサ(Hammadou Faocal Moussa)
年齢:21
出身地:カメルーン東部
宗教:ムスリム教

カメルーンの多様性は、言語だけではありません。国内には、キリスト教徒、イスラム教徒を中心に、ユダヤ教徒やアフリカの伝統的な宗教であるブゥードゥー教徒など、さまざまな宗教の人々が共に暮らしています。

私のカメラを見て、写真を撮ってとせがんできたのは、イスラム教徒コミュニティ出身のムサさん。ペンと紙を渡すと、さっきまでのふざけた笑顔が消えて、深刻な顔で「何を書こうか」と考え始めました。

自分の名前と年齢、自己紹介を、英語と並列で書いてくれました。「Mi Sani Ma = こんにちは」という意味だそうで、一人目のアソグさんと同様、選ぶ言葉は日々使う日常の言葉です。口語ならではの飾り気のなさが素敵。

手作り感満載の個人経営のキオスクが立ち並ぶストリート。「このエリアは、僕と同じ地域出身の人が多いんだ」とムサさんは言います。彼はここに毎日通っているためみんな知り合いのようで、道ゆく人や店員さんなど一人ひとりと挨拶を交わしていました。

 

 

03“故郷の言葉は、もう話せない”。サハラ砂漠に近いカメルーン北部出身の男性

名前:ミカエル(Michael Myede)
年齢:38歳
出身地:Maroua(カメルーン北部)
宗教:キリスト教

続いて声をかけたのは、38歳の男性、ミカエルさん。カメルーン北部の砂漠地帯出身で、日本にも数年住んでいたことがあるそうです。

「カメルーンは、色んな気候と自然が同居している」と話す彼。中でも、カメルーン北部は「もはやサハラ砂漠」であると言います。地図を見ると、ナイジェリアやチャドとの国境付近に位置する乾燥地帯のよう。

首都・ヤウンデに来てからもう何年も故郷に帰ってないというミカエルさん。故郷の言葉の多くを忘れてしまって、聞き取りはできても、話すのはもう難しいそうです。

そんな彼が書いてくれたのは、「mbi wouro = 村の息子」という文章。なぜこの言葉を選んだのか?もしかしたら書きながら、しばらく帰っていない故郷に想いをはせていたのかもしれません。

話されなくなった言語は、行き場をなくし、やがて消滅していく。数十年後のカメルーンには、現在ある200もの現地の言葉は、まだ残っているのでしょうか。

 

 

04“何か書けって、突然言われてもね”。主婦が片手間に書いた言葉たち

名前:サラ(Sarah Fabiola)
年齢:27歳
出身地:Bahouan(カメルーン西部)
宗教:キリスト教

白魚の切り身を串に刺し、鶏肉に唐辛子ソースを擦り込む。プランテーンを2センチ角に切って、熱々の油がひたひたに入った鍋に放り込む。

ある日曜日の昼下がり、家族とご近所さんのためのBBQを、主婦たちがせっせと準備している光景に出会いました。

「何か、書いてくれない?」

フランス語で説明して1人に紙とペンを渡すと、「急にそんなこと言われてもねえ」とぶつぶつ言いながらも、まんざらでもない顔で、筆を走らせてくれたサラさん。

「バホアン(Bahouan)」という言語で、普段よく使う言葉を書き起こしてくれました。丸みを帯びた特徴的な癖字が可愛いらしいです。

「”Si Jieouh”は、つまり、”Dieu Connait” (神さまは知っている)ね」と子どもに説教するように書いてくれたサラさん。真っ先に出てきた言葉が、神さまについてとは、敬虔なキリスト教徒だからかもしれません。

05“書き姿は美しくあるべき”。書き始める前のセットアップは忘れずに

名前:ラティファ(Elonge Latifah Soummayyah)
年齢:29歳
出身地:Fufuldé(カメルーン北部)
宗教:ムスリム教

何か書いてくれとお願いすると、興奮のあまり、小さく叫んで喜びを表現していたラティファさん。看護師として働く彼女は大のアニメ好きで、いつか日本に行くことが夢なんだそう。

「書き姿は、あくまでも美しくあるべきね」と、まずはリップグロスを塗り直し、念入りにスカーフを整えて髪の毛を隠す。道端の椅子を移動させては、どの角度からの写真が一番写りが良いか、脚はどう組めば良いか、じっくり検証していました。

ペンの持ち方、握り方も美しく。もちろん文字も美しく。時折ふとペンをとめて思考を巡らせながら、彼女の民族の言葉である「ハドゥサ(Hadussa)」を、一文字一文字、丁寧に書き落としていきます。

「Inason Ki = I love you」。ラティファさんが書き終えたのは、私へのラブレター。紙に書かれたラブレターをもらうのは、いつぶりだろうと懐かしい気持ちになります。

 

「普段、書かないことを紙に書いてみて。」

カメルーンの路上で出会った5人。何を書こうか悩み、照れ、嬉しそうにしながら書く姿がそれぞれ印象的でした。
普段は話すことにしか使わない言葉を、音に合わせてアルファベットをあてがい表現する。
その行為にカメルーンの人たちは戸惑いながらも、言葉、そして文字で表現することに好奇心や喜びを感じていたように思います。

どんな言葉を書くか、どんな文字で書くか。
小さなマス目に収まるように書く人、マス目なんて無視して書く人。
考えているとき、書いているとき、書き終わったメモを見せるとき。
そこにその人らしさが、よく表現されていました。


「話すこと」はそこにいるだれかとの間に生まれるとても直接的な行為です。
それに対し、「書くこと」は一人でそっと行う行為。
一見異なるふたつの行為ですが、そこには「話すこと」と同じように、それを伝えたい誰か、つまり相手の存在がいつもあります。

書くことで、誰かを想い、願い、届けたい気持ちを表現する。
文字のない言語で彼らが何気なく書いてくれた言葉から、書くこと・表現することの意味に改めて気づかされました。