表現フィールドリサーチ

言語も、文化も、国境も、軽やかに超えて創作する、Bakwa Magazineが教えてくれること

言語も、文化も、国境も、軽やかに超えて創作する、Bakwa Magazineが教えてくれること

Text:Mariko Sugita
Photo:Bakwa Magazine

フランス語と英語の2言語を公用語に、200以上の土着の言語が存在する中央アフリカの一国・カメルーン。そんなカメルーンで、多様な言語、文化、国境を超えて創作活動を行う、Bakwa Magazine(バクワ マガジン)という文芸団体に出会いました。フランス語話者が人口の70%を占めるカメルーンで、あえて少数派の英語を中心に、様々な言語を織り交ぜながら活動を行うBakwa Magazine。

彼らはどんな想いで表現活動をしているのか。
Bakwa Magazineの編集長、デカシュ・マクビガンさんに話を聞きました。

01Bakwa Magazineを作ったのは、“表現の発露が欲しかった”から

英語、そしてピジン(植民地支配と共に入ってきた英語、フランス語などのヨーロッパ言語が、伝統的な現地の言葉の影響を受けながら簡略化され、共通語となったもの)を中心に、フランス語も織り交ぜながら活動するBakwa Magazine。「英語で活動する若手の文芸団体は、カメルーンではここだけ。出版活動の他に、若手の書き手育成や、翻訳を通した表現活動などを積極的に行っています」とデカシュさんは話します。

デカシュ・マクビガンさん/photo:Stone Karim Mohamad

デカシュさんは、カメルーンでは少数派のアングロフォン(= Anglophone、少数派の英語圏出身の人々)として、英語を母国語に育ったバックボーンを持ちます。大学の時に本を自費出版したことから作家活動をはじめ、徐々に編集者として活躍の幅を広げてきました。

「アフリカの他の国々には、活発な文芸・雑誌表現活動が沢山あります。でも、カメルーンには、そのような活動がなかったんです。ないなら自分たちで作ろうということで、仲間を集めて見よう見まねで本を作ってみたのがはじまりでした。私が少数派として育った経験もあり、“表現を発露する場所が欲しい”、そんな想いでBakwa Magazineを立ち上げたんです」

02複数の言語と文化をまたぐ、ということ

Bakwa Magazineのミッションは、言葉と表現活動の多様性、そしてその面白さを世の中に広めていくこと。作品の質を競い合うコンクール、他国の雑誌やプラットフォームとの提携、若い作家向けのワークショップなどを実施しながら、フィクション・ノンフィクション問わず、精力的に様々な物語を発表し続けています。

Bakwa Magazinedが開催しているワークショップの様子

「雑誌や書籍に限らず、マルチメディアにPodcastなども利用することで、今らしい表現や、新しいオーディエンスの開拓を行っています」とデカシュさん。

また、Bakwa Magazineでは翻訳も重視しています。「複数の言語が同居するカメルーンなのに、言語を超えた翻訳が今まであまりなされてこなかったのは残念なこと」とデカシュさんは話します。

だからBakwa Magazineは、異なる言語を行き来する時のニュアンスや、表現行為としての翻訳の可能性、言葉や文化の異なる読者への想像力の喚起などを意識しています。時には、英語で書かれた作品をフランス語に、フランス語の場合にはあえて英語に翻訳して、翻訳された後の原稿だけ掲載したりすることもあるんだそうです。

例えばBakwa Magazine出版の短編集『私たちをどこへも連れて行かないタクシー・ドライバー(Taxi Drivers Who Drive Us Nowhere)』。カメルーンの複数都市に加えて、ナイジェリアのラゴスや、リスボン、ベルリンなどを舞台に、「タクシー」をテーマにした短編が集められています。この本は、半分英語、半分フランス語で書かれ、国籍や母語がばらばらの書き手を集め、第二言語にするなど、本人達にとってわざと“不自由”な言葉で表現されています。

『私たちをどこへも連れて行かないタクシー・ドライバー(Taxi Drivers Who Drive Us Nowhere)』

なぜこのような表現をするのか、デカシュさんに尋ねてみると。

「翻訳には、異なる言語間で意味を通訳すること以上の可能性があります。このような実験を通して伝えたかったのは、翻訳という行為は、人々をつなぎ合わせたり、異なる文化圏への想像力を育ませたりする力があり、創作活動そのものでもあるということ」

デカシュさんが異文化への想像力について言及する理由は、カメルーンの政治的背景にあります。実はカメルーンでは現在、少数派の英語圏地域による分離独立運動をきっかけとした内戦が起こっています。少数派のアングロフォンを中心に何十万人もの難民がいる今、異なる言語圏は、政治・社会文化と複雑に絡み合っているのです。

「言語にはヒエラルキーがあります。フラットな関係性のなかで共に表現活動をする土壌さえあれば、文化も言葉の壁も超えて、物語は人に伝わる。自分の言語だけに留まって、一部のオーディエンスだけを考えていてはだめなのです」

Bakwa Magazineのメッセージは、多言語社会のカメルーンだからこそ生まれてきた主張なのかもしれません。

03“ここではないどこかへの想像力”を養うために。

複数の言語をまたいで活動するデカシュさんの実践から、分からないこと、伝わりにくいことへの許容力と、言語や文化の間でそれを楽しむことを、改めて教えてもらいました。

「明確ではないこと、はっきりしないことは、決して悪いことではありません。例えば、『私たちをどこへも連れて行かないタクシー・ドライバー』は、カメルーンのタクシー事情が分からない一部の読者にとっては、意味不明な物語でもあると思います。それは文脈が、単純な言葉の翻訳だけでは伝わらないからです。でも、あえて注釈は入れない。分からないことから、“ここではないどこかへの想像力”と好奇心を、読者に養ってもらいたいと思うからです」

言葉は、文化やアイディンティティを反映するものでもあります。だからこそ、書くことは、自分の文化やアイデンティティを形成することにも繋がるのだ、とデカシュさんは話します。

何かを表現するとき、自分がいつも使う言語以外の選択肢があったらどうでしょう。
もしくは、何かを誰かに届けたい時に、そこに言葉や文化の違いがあったら、あなたはどうしますか。

きっと、言葉を編み出すという行為そのものが、自分の文化やアイデンティティを再認識することになるはずです。

不完全でもいい。100%伝わらなくてもいい。自分らしい言葉を編み出しながら、まだ会ったことのない誰かに、届けたい。そんなことを考えると、私たちの表現活動も、もっと自由に、もっと自分らしくできるような気がしてくる。

デカシュさんの話から、また一つ表現活動の楽しさが見えてきました。