関東

2017年2月

東京都中野区立大和小学校

2017年3月、中野区の学校再編事業により閉校となり、大和小は76年の歴史に幕を閉じました。この76年間で約8,500名を超える子どもたちが、大和小で学んできました。シンボルツリーである菩提樹をはじめとした校舎との思い出を描き「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦!」を行いました。壁画には子どもたちの大和小への強い思い(大和魂)が込められています。

01校舎の思い出ギャラリー

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02先生インタビュー

東京都中野区立大和小学校 佐藤校長先生

小学校の歴史についてお聞かせください。

佐藤校長先生大和小は、昭和15年11月1日に「東京市大和尋常小学校」として誕生しました。開校当時から、大和小は地域の人に愛されてきました。当時、赤い屋根瓦にクリーム色の校舎は、「たいへんモダンな建物だ」と評判になったそうです。 昭和20年、再び校名が変わり、今に続く「中野区立大和小学校」となりました。年月と共に、学校も整備され、赤い屋根瓦の木造校舎は、今の鉄筋校舎に変わり、プールもできました。昭和52年には、現在シンボルツリーと呼ばれている菩提樹が植樹されました。 そして、今年(平成29年)の3月、中野区の学校再編事業により閉校となり、大和小は76年の歴史に幕を閉じました。この76年間で約8,500名を超える子どもたちが、大和小で学んできました。

「校舎の思い出プロジェクト」を行うことになったきっかけについてお聞かせください。

佐藤校長先生きっかけは3つあります。 1つめは、PTA役員さんが私に、「子どもたちが校舎に絵を描いている学校があります。うちの学校でも、こんなことができないでしょうか」と、おそらく過去に「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校と思われる新聞記事を見せてくれたことです。 2つめは、その後、私が出張した学校に、偶然にも「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校が2校あり、子どもたちが描いた実際の壁面やその関連写真を見たことです。それにより、私自身、「閉校前に、この取り組みを子どもたちとやってみたい」という思いを強くし、教職員・PTA役員に、その旨を提案したのです。 3つめは、児童代表委員会を担当している教員から、閉校にあたり、こんなことをやりたいという子どもたちの企画の中に、「校舎に絵を描きたい」というものがある、との話を聞いたことです。担当教員と相談し、6年生の代表委員の子たちから要望を聞きました。 以上3つのきっかけ、子ども・保護者・学校それぞれの思いが1つに融合し、「校舎の思い出プロジェクト」を行うことになったのです。

「校舎の思い出プロジェクト」のサポートプログラムはいかがでしたか?

佐藤校長先生大変よかったです。こちらの思った以上のサポートでした。ぺんてる株式会社、キヤノンマーケティングジャパン株式会社、どちらにも感謝の言葉しかありません。過去に、多くの学校で実施してきたノウハウがあるので、絵具等の量、描く場所等の相談を安心して行うことができました。

特に印象に残っているエピソードなどあれば教えてください。

佐藤校長先生2月の全校朝会でこの話題を取り上げた時のことです。この日の全校朝会は、6年代表委員の子どもと私とでジョイントして行いました。最初、6年代表委員が、閉校のイベントで「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦」(命名、児童代表委員会)を行うという話をしました。それを受け、私が体育館のスクリーンに、パワーポイントを使って「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦」のプレゼンテーションを行いました。スクリーンに写したのは、過去実施された「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校の壁画や子どもたちの様子です。実際に絵を描いている様子を代表委員の子がカメラで撮影する、ということも話しました。私としては、子どもたちに壁画のイメージづくりをしたかったのです。壁画を写した瞬間、低学年から「えーっ!そんなことしていいの!?」と声が上がったことは忘れられません。

壁画のテーマはどのようにして決められたのですか?

佐藤校長先生テーマは各学年の担任の先生にお任せしました。イベントが代表委員会の提案でもあるので、それぞれの学年・学級で、子どもたちとテーマを話し合って決めました。 目の前に「閉校」が迫っている時期だったので、「大和小の思い出」「大和小の四季」「大和小で好きな場所」「思い出の行事」などがテーマとなったようです。 どの学年も、シンボルツリーである菩提樹は描いていました。6年生は入学式から卒業式までの四季や60周年記念から歌い継がれてきた『夢をのせて』という曲のスコアを、5年生は軽井沢移動教室の風景なども取り上げ、描いていました。4・5年生は、大和小を愛し、誇りに思うという意味での「大和魂」という言葉も描いて、微笑ましかったです。 全般的に、大和小や校舎に対して「ありがとう」という感謝の壁画やメッセージが校舎のあちこちに出現しました。

学校の壁という本来描いてはいけない場所に、初めて子どもたちが描いていくときはどのような反応でしたか?

佐藤校長先生最初の一筆めは、こわごわといった子もいましたが、一度描いてしまえば、後はのびのび楽しんで描いていました。とにかく、1年生から6年生まで、楽しそうに描いていました(実際、「楽しい!」と言っていました)。 テーマを決めて描いていたので、いたずら書きにはならず、とにかく、みんなで共同作品を作るんだという意識をもって描いていました。「本来描いてはいけない場所」に描くという非日常的なスリル感だけでなく、そんな共同制作の楽しみもあったように思います。

子どもたちが撮影した写真や、撮影している様子をご覧になっていかがでしたか?

佐藤校長先生一言、「面白い」と思いました。また、「なかなかやるなあ」と思いました。面白いアングル(視点)で撮影された、しかも上手な写真を観て、そのような感想を抱きました。今回は学校の都合上、児童代表委員の子どもだけが、カメラマン役になったのですが、カメラ(での撮影)は、子どもの表現力を高めるための教育ツールになると考えました。 できあがった作品を撮るだけでなく、仲間が創っている作品づくりの活動を撮るということが、たいへんよかったです。

保護者や卒業生、地域住民の皆さんの反応はいかがでしたか?

佐藤校長先生大好評でした。本校の場合、PTAのお母さん方が休み時間、放課後と関わってくださったのですが、期間中の土曜日1日だけは、PTA(保護者)だけでなく、地域の方にも校舎の正面玄関を壁画の場所として開放しました。当日は、PTA・おやじの会・地域の方・卒業生、そして子どもたちが集い、楽しんで壁画を描いていました。閉校を前に、一人一人の方が校舎に思いを馳せ、絵やメッセージを描いていたように思います。 この日の様子は、地元のケーブルテレビでも放映され、その後、中野区のホームページにも掲載されました。また、地元の新聞にも、この「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦」の記事が掲載され、子どもや学校を超え、地域にもこの取り組みは広く宣伝されました。

今後、「校舎の思い出プロジェクト」を多くの小学校にて展開をしていきたいと考えております。 このプロジェクトに今後期待することや、メッセージがございましたらお聞かせください。

佐藤校長先生すばらしい機会を与えてくださり、たいへん感謝しております。閉校という大きな節目に、子どもたちにとてもよい体験、思い出づくりができました。 このままでも十分ですが、「今後期待すること」という言葉に甘えて言えば、写真撮影するためのカメラの台数を増やしていただけると、子どもの活動で、また新たな展開ができるのではないかと考えます。 また、可能な限り、このプロジェクトを続け、全国の学校を支援していただければ、と思います。 4月より統合新校・美鳩小の校長になりました。3年半後にまた引っ越しです。その時は、またお世話になりたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。