表現する人々

もっと、思うままに。もっと、そのままを。 アートクレヨンと共に漂う表現の旅。 アーティスト・mikoさん

もっと、思うままに。もっと、そのままを。 アートクレヨンと共に漂う表現の旅。 アーティスト・mikoさん

時をさかのぼること2年前。
2023年11月21日、ぺんてる茨城工場ではぺんてる製品を愛用いただいているみなさんをお招きして、ファンイベント「Pentel DAY 2023」を開催しました。

この日は、工場見学あり、社食でのランチあり、当時誕生したばかりのアートクレヨンのお披露目会ありと、盛りだくさん。イベントの中では、アートクレヨンを実際に手に取って描いてもらう場面もありました。そんな中、ひときわ目を引く方がいたのです。それが、mikoさんでした。
新製品だったこともあり、多くの参加者が探り探り描いている中、mikoさんはアートクレヨンの巻紙をペリペリ剥がし、さらにポキポキ折って、自分好みの形状にカスタマイズ。画用紙もはみ出して、無我夢中で描いている姿に目を奪われました。

Pentel DAY 2023

今ではすっかりアートクレヨンファンとなったmikoさんに、私たちはもう一度じっくり話を聞いてみたいと思ったのです。
なぜ、アートクレヨンなのか、そしてなぜ表現するのか。
そんな疑問の数々をぶつけてみたく、今回はぺんてる本社にmikoさんをお迎えしました。

01出会いのきっかけは愛用歴30年のぺんてるくれよん

SNSにアップされたひとつの投稿――。

そこには、自由な線で描かれた色鮮やかな抽象画が写されていました。

この投稿こそが、mikoさんとぺんてるの交流が始まったきっかけです。この出会いにより、mikoさんをPentel DAYへとお招きし、その後何度かのやり取りを経て、今日こうしてお話を聞くことになりました。

ぺんてる本日はお越しいただきありがとうございます。まさかあのSNSの投稿がきっかけで、Pentel Dayにお越しいただき、また改めてお話をお聴きすることができてとても光栄です。本日はよろしくお願いします。

miko小学生の頃に使っていたぺんてるくれよん、今でも愛用しています。美大で出た宿題もぺんてるくれよんで描いたり、いまだに現役です。愛用歴は、早いもので30年くらいになりますね(笑)。

ぺんてる30年!大変長くご愛用いただいていたんですね!

mikoぺんてるくれよんの描き心地がとにかく好きなんです。ぬめり感というか、紙の上をやわらかくすべる感じ。ほかのクレヨンって少し硬いなと私は感じるんです。ぺんてるくれよんも少し描き心地が変わりましたよね?

ぺんてるそうですね。常に品質改善をしているので、30年前のものとは成分の配合なども変わって、より描きやすくなっていると思います。そういえば、Pentel DAYにお越しいただいた時の、mikoさんのアートクレヨンの使い方はとても印象的でした。新品のアートクレヨンを大胆に折っている姿とか(笑)。

mikoたしか一番最初に私が折り始めて、周りの方も驚いていたと思います(笑)。

ぺんてるあれは、どういう想いからの行動だったんでしょうか。

mikoあの日初めてアートクレヨンを手に取ってみて、直感的に面塗りしたくなってしまったんですよね。紙いっぱいに塗り広げたくなるようなやわらかさを感じたんです。ぬめり感がありながら、すべる感覚。私が大好きだった昔のぺんてるくれよんに似た感触でした。筆圧の強い私でも軸が折れずに、これだけなめらかにすべってくれるんだって、感動でしたね。

Pentel DAY 2023でのmikoさん。

ぺんてるたしかに、筆圧が強すぎると細身のぺんてるくれよんでは折れやすいことがありますね。

miko学童用のクレヨンだと、私の筆圧だとだいたいは折れちゃいます。だからアートクレヨンのすべる感覚は心地よくて、自分の動かしたい方向に何の抵抗もなくすべってくれるような感じでした。

ぺんてる自分の描きたいように描けるような?

mikoそうですね、ひっかかりなく。世の中の画材の大半は、描いていると抵抗感が出てきてしまうので、何の抵抗もなく自分の思い通りに描けるというのは、表現者である私にとってこれ以上にないよろこびなんです。

02描くことは、自分を解放すること

描きたいように描けることが、表現者としてのよろこび。
それは表現者なら誰しもが、愛着を持った画材に対して感じる感覚なのかもしれません。
中でも“何の抵抗もなく自分の思い通りに描ける”ことを強調されたmikoさん。その理由は、アーティストmikoさんのバックボーンにありました。

miko私、聴覚過敏*なんです。生まれはアメリカのニュージャージー州というところで、家の周りは音がしない、自然豊かで本当に静かなところで育ちました。だから東京にきた時は、喧騒に圧倒されてしまったんです。もう頭の中で音がパチパチ、キラキラ、ゴーという感じであふれてしまって。

*聴覚過敏…日常的な音を不快に感じたり、敏感に感じる症状。感覚過敏の一種。

mikoさんの出身地、アメリカニュージャージー州の景色。

ぺんてるそれは、どんなイメージが見えているんでしょうか。

mikoたとえば電車の「ゴトンゴトン」という音が、パチパチと弾けるようにイメージとして見えるんです。こんな感じに。

ぺんてるこんなに色鮮やかに見えるんですね。

miko頭の中にあるイメージを常に表現して外に出していかないと、自分がパンクしてしまいそうになるんですよね。だから私は、アウトプットするために絵を描いているんです。

ぺんてるアウトプットしないと、どうなってしまうんですか?

miko目の前のことが手につかなくなりますね。「執念」と言えばいいのでしょうか。たとえば日常の中で起きた出来事に対して、必要以上に執着してしまうことってありませんか? ぐるぐるとそのことばかりを考えてしまったり。それをアウトプットすることで、出来事を客観視できるようになって、感情が少し整理されて冷静になれる。日記のように思っていることを文字にすることで心が落ち着くという人もいますが、私の場合は描くことでそれを行っているんです。

ぺんてる興味深いですね。mikoさんの作品がこんなに色鮮やかなのは、頭の中に浮かぶさまざまなイメージを絵として解放しているからなんですね。

miko本当はもっともっと頭の中のイメージは色鮮やかなんですよ。紙の上では描き切れないくらい。自分が音から感じ取った色やイメージを、どうにかリアルに表現したくて、だからいろんな画材を試しているんです。日々の中でドローイングをして、たくさん描き溜めていくと、ある時点で表現の方向性が見えてくるんです。

ぺんてるそれが「作品」になると。

mikoそうです。私が影響を受けたロシア出身の画家でワシリー・カンディンスキーという人がいるんですけど、彼もまた「共感覚」という特殊な性質を持っていて、音楽やリズムを色や形で表現しています。私自身も、そんなふうに自分の感じ取った音を絵として表現したいと思っています。

インタビュー中、ずっとこの絵を描いていたmikoさん。これもインタビュアー(ぺんてる)の発する声や場の雰囲気、情報などの音を感じ、そのイメージのままリアルに表現されているとのことでした。

ぺんてるmikoさんは、ライブドローイングも表現手法の一つとして用いていますよね。それもやはり、音をそのまま、ありのままに表現するという作風と通じているんでしょうか。

mikoそうですね。ライブドローイングというのは、もちろん音楽から受け取るエネルギーもあるんですが、そこにいる観客から受け取るものも大きく影響するんです。お客さんに見られながら描いていると、言葉にしなくても、その人たちから感じられるものがあって。それを私が表現していくような。

ぺんてるまるでオーディエンスと一体になったミュージシャンのライブみたいですね!とても魅力的です。

mikoその瞬間を表現していくおもしろさがあるから、ライブドローイングは私にとって大事なものなんです。

03瞬発力と表現力。 私をレベルアップさせてくるアートクレヨン

頭の中に浮かんだものをそのまま表現すること。そこにこだわりを持つのは、mikoさんにとって描くことが息をするように当たり前の営みだからなのだと思います。そして、その表現のために欠かせないのが抵抗感なく描けるクレヨンというのもとても興味深いことです。

miko作品づくりをする上で、瞬発力は大事です。感じ取ったものをそのまま表現したいから、「あ、描こう」と思い立ったらすぐにでも描き始めたいんです。そんな時には、クレヨンが一番!

自宅での制作風景。床に置いたキャンバスと散らばったクレヨンで直感的に描いていく。

ぺんてるなぜクレヨンなんでしょう。ほかにも画材はたくさんあると思うのですが。

miko絵の具だと水を用意して、筆を用意してと、描くまでの工程がたくさんあるので、瞬発力に欠けますね。おそらく精密画とかを描かれる方は、そこまで瞬発力は必要ないと思うんです。私の場合、音楽を流しながら、その瞬間に感じたものを腕から直接出力している感覚なんです。

ぺんてる腕からそのまま“出力”というのがおもしろいですね。なんだか音楽を奏でる人のような。そうか、だからさっきおっしゃったアートクレヨンの思うままに描ける、ということにつながるんですね。

mikoだからクレヨンが好きなんです。特にアートクレヨンは、描いていても疲れないというのもいいところですね。

ぺんてるそれはどうしてですか?

miko私は筆圧が強いので、描いていると腕が疲れてしまうんです。腕が疲れると、そっちに気を取られて集中力が落ちて、判断力が鈍くなってくるというか…。判断が鈍って瞬発力がなくなってくると、それは作品に影響するので。そういう意味で、疲れない画材かどうかは私の作品にとって重要です。

一瞬を捉える瞬発力と判断力。
mikoさんの話を聞いてると、画材を楽器のように扱っているような印象を受けます。
まるでミュージシャンが感じたことを楽器で表現するように、そして愛用の楽器について語るように。mikoさんはアートクレヨンを手にその魅力を語ってくれます。
でも、描きたいように描けることとご自身が理想とする完成度はまた違います。アートクレヨンはなぜそこまでmikoさんを惹きつけるのでしょうか?

miko混色と重色のバランスですね。たいていのクレヨンは何層も塗り重ねていくと色が混ざらず、ただ上に乗っかってしまうだけで、被覆力が強すぎると感じるんです。その点、アートクレヨンは塗り重ねていくとうまく色が混ざって複雑な色合いが表現できるんです。

ぺんてるそうなんです。混色と重色はアートクレヨンの強みです。重ねていくことによって、新しい色がつくれるというのも魅力なんですね。

mikoほかのクレヨンだと、どんなに塗り重ねてもその製品のつくり出した色にしかならないんです。色鮮やかだし綺麗なんだけど、自分のオリジナルの色にはなりません。

ぺんてるですが、アート作品として成立させるとなると、クレヨンで描いたものは少し子どもっぽい印象になったりしないんでしょうか。

mikoそこに関しては、重色で奥行きを出すという表現力が必要だと感じています。おっしゃるとおり、クレヨンだけで一度塗りつぶしただけでは、どうしても深みが出せなくて、いわゆる「子どもの描く絵」になってしまいます。でもアートクレヨンは塗り重ねて厚みを出していくことができる。その厚みも不規則で、ボテっとしていて、どこか有機的で、それこそ人間らしくて絵としておもしろみが出てくるんですよ。

ぺんてる描くために色を使うというより、描きながら色を作り出している感じですね。

mikoざらつきやツヤ、盛り上がり、凹凸など、視覚的・触覚的に絵の表面に質感を出す「マチエール」という技法があるんですけど、それに近いかもしれません。普通のクレヨンは何層も塗り重ねていくと、下の層が削れていってしまうんですが、アートクレヨンの場合は、それが一切ありません。個展でも合計50時間ぐらいかけて一枚の作品にアートクレヨンで描いて塗り重ねていくことをしたのですが、重なり続けましたね。

ぺんてる50時間!それはすごいですね…。

mikoアートクレヨンは、私がやりたいことに対してすごくフィットして、なおかつレベルアップさせてくれるもの。使っていくたびに、発見があっておもしろいです。

04もうこれ以上色が乗らない! 塗り重ねた先にあったブレイクスルー

2025年1月に都内で開催されたmikoさんの個展「DIVERTIMENTO」にお邪魔しました。

アートクレヨンを中心に描かれた作品で構成された展示は、どれもエネルギーを感じるものばかり。今回の個展に際して「表現のブレイクスルーがあったんです」とmikoさんは力強く語ってくれました。アートクレヨンがmikoさんの作風にもたらした変化とはいったい何なのでしょう。表現技法を探し続ける、mikoさんならではの実験的な過程についても聞いてみました。

miko今回の個展はモーツァルトの曲「ディベルティメント」をテーマにしました。実際にモーツァルトの曲を聴きながら、描いたんですよ。作品のほとんどはアートクレヨンを中心に、あとは専門家用パスやアクリル絵の具を使って描いています。

個展「DIVERTIMENTO」で展示された作品。会場では来場した方も自由にアートクレヨンで描ける大型の作品も。詳しくはぺんてる公式noteでも紹介しています。

ぺんてる公式note

ぺんてる私も個展にお邪魔しました。花をモチーフにした作品をメインに、力強くて色鮮やかなものまで。本当に目を奪われました。今回作品づくりの中で表現のブレイクスルーがあったと聞いていますが、それはどんな流れで起こったのでしょうか。

miko自宅ではいつでも絵が描けるようにと、至る所に画材と画用紙を用意しているんです。アートクレヨンも何度も手に取ってアウトプットしてを繰り返して。その中で、塗り重ねていったらどうなるんだろう、塗り重ねた先に何があるんだろうと、追求したくなっていったんです。

ぺんてるなんだか実験に近い感覚ですね。

mikoそうですね、近いかもしれません。これ以上もう色が乗らない!というところまで塗り重ねていくと、意外なことに自然色に近しい色合いにたどり着いたり。そういうことを積み重ねていって、ある種ブレイクスルーのような経験をして、これまでとは少し違う作風の作品が完成しました。それがこちらです。

ぺんてるこの作品を見ていると、混沌とした複雑さがありながら、明るい色や可愛い色があったりして、見ていて飽きません。たった8色のアートクレヨンで、ここまで豊かな彩色ができるのは驚きです。

miko具象画を描く方だと、元の色がベースにあると思います。たとえば、リンゴを描くなら赤とイメージが決まっていると思うんです。でも、私の場合は目に見えないものを描こうとしているので、色も探り探り。この色とこの色を組み合わせたらどうなるんだろうと、いろんな画材を試したり、組み合わせたりしながら描き進めています。

ぺんてるさきほど実験に近い感覚と話したのですが、作品が完成するまでにさまざまな画材を使って実験と試行錯誤をされていることも含めて、mikoさんの表現活動なんですね。

mikoそうかもしれません。今回新たにアートクレヨンと別の画材の組み合わせというのも、試しました。一つの画材の追求だけじゃなく、そういう組み合わせみたいなものも自分の表現の追求につながっていると思います。

05時間は流れていくもの。 それを何とか今、画面にとどめたい。

ぺんてる画材の組み合わせという話も出ましたが、アートクレヨン単体で完結する作品は、mikoさんの求める完成度とはまた異なるのでしょうか?

miko実験を続けていく中で見えてきた課題として、クレヨンで描けるサイズには限界があると思っています。

ぺんてるサイズ…、それはどういうことでしょうか?

mikoサイズの小さい作品は、自然と近くに寄って鑑賞しますよね。そうするとクレヨンの筆致がよく見えたりとか、色鮮やかさが際立ってくる。でも、サイズが大きくなると、離れたところから鑑賞する。遠目からクレヨンのみで描かれた作品を見ると、色が少し濁るというか、どこか重たさを感じるんです。

ぺんてる作品の大きさによって受け取る印象が違うんですね。画材とサイズの相性があると。

mikoそうなんです。個展「DIVERTIMENTO」での作品もアクリル絵の具、オイルパス、クレヨンなどを組み合わせて描いているんです。

ぺんてる無理にクレヨンだけで描こうとするのではなく、そのサイズに見合った画材や方法を試されているんですね。

mikoクレヨンは画材としてもサイズが小さいので、たとえば100号などの大きな絵で表現しようとするのは、やはり難しいです。アートクレヨンは色づくりや描き心地の観点では、自分が表現したいことができるのに、大きな作品には向かないというもどかしさがありますね。

ぺんてる作品によって画材を使い分ける。いわば最適化されているわけですよね?それを聞くと、冷静かつ客観的にご自身の表現をコントロールされているのかなと思うのですが。

miko画材にはそれぞれの性格があると思っていて、「こう扱われたい」っていう声をきちんと聞いてあげないといけないと思うんです。

ぺんてる画材にもクセや個性はあって、それをまるで生き物かのように捉えていたんですね。

mikoだからあまり自分でコントロールしすぎないように気をつけていますね。自分の意思が強すぎると本来の画材のよさが出なくなってしまうので。この画材はこうなりたい子なんだって。画材の意思を汲み取ってやっているというか。

ぺんてる意思を汲み取る。mikoさんにとって画材は友達なんですね。そのほかに絵を描く中で、これは課題だなと感じることはありますか?

miko水彩絵の具は乾くと色が変わるということですね。実はそれが一番ストレスです。描いた瞬間と少し時間が経って見たときに、ギャップがあるんです。その変化を見るとがっかりしてしまうというか。ああ、この一瞬を捉えられなかった、と。

ぺんてるそういう偶然性を楽しむ方もいらっしゃると思うんですけど、mikoさんの場合はそうではないんですね。

miko そこもまた私の、その瞬間をありのままに表現したいという願望なんだと思います。私が絵を描く上で、最終目標にしているのが、時間芸術を空間芸術にすることです。人生や音楽、時間は流れていくものですが、それをなんとか今、この一瞬を画面にとどめたくて。

ぺんてる絵画というと、時間をかけて納得のいくまで描きこんでいくもの。という常識がありました。mikoさんの絵画に対するアプローチは、ご自身が感じた一瞬のビジョンをどう素早くアウトプットしていくのかということ。「表現活動と時間」が密接に関わっているように感じました。

06これからも、流れゆくままに、表現の旅へ

mikoさんのウェブサイトにはこんな言葉が掲載されていました。

漂流記としての絵画

私は今までアメリカ、シンガポール、日本で生活し、時代に合わせて生活スタイルを変えてきました。
漂流生活は刺激的ですが社会は「流れる」人に対して厳しくもあります。

世界の激流に合わせて無邪気に転がり統けることは何故軽薄だと思われがちなのでしょうか。
漂着地を異文化と繋ぎ、実りを得たら旅立つ −−これは西洋と東洋、ビジネスと創作という対極の世界を行き来してきた私が授かった役割だと感じています。

創作物は私の漂流の記録であり、異文化交配を行うためのメディアです。

特定のモチーフに留まることなく、場の気候、音、香り、触感、人から得た言葉にならない感情を色や線で記録しています。全ては未完の彷徨いの一欠片。

私は旅立つ時、幸せなひとときを記した紙切れをお守りとして持ち歩いています。

旅人は帰りたい場所を思い出すことで前に進めます。

孤独に抗う世界の漂流者にお守りを送りたくて、私は日々記録を刻んでいます。

数々の試行錯誤、実験、そして気づき。
アーティストmikoさんは今も、流れゆくままに表現の旅を続けています。
その旅のおともにアートクレヨンがあるならば、これ以上のよろこびは画材をつくる私たちにもありません。最後にmikoさんは目を輝かせてこう語ってくれました。

miko表現の探究はこれからも続いていくと思います。アートクレヨンという素晴らしい画材に出会えたので、アクリル絵の具や、水彩絵の具、色鉛筆との相性を試したり。画材のミックスをどうおこなっていくとおもしろいか。まだまだ試したいことばかりです。

miko(みこ)

米国ニュージャージー州出身。2006年慶應義塾大学環境情報学部卒。大手出版社・IT企業での勤務を経て、2017年から芸術の道を志す。2017年より京都芸術大学で制作の基礎を学び、2020年に初個展開催。カンディンスキーに影響を受け、「聴覚と視覚の共感覚」をテーマにリズミカルな抽象絵画を制作するなど活動している。

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