表現フィールドリサーチ
開発途上国の子どもたちに、表現するよろこびとイマジネーションを!河野ルルが続ける壁画旅

旅する絵描きとして活躍する河野ルルさん。国内ではスポーツウェアメーカーや5つ星ホテルとのコラボレーションなどでも知られていますが、自身のライフワークと語るのは「旅×アート」。絵本やお絵かきといったイマジネーションを育む遊びに触れることのない子どもたちがいる開発途上国を訪れ、街の一角を色鮮やかな壁画で彩る活動をチャリティーで続けています。
なぜ、ルルさんは旅に出るのか。そしてなぜ、描くのか––––。活動の原点や開発途上国で感じた表現への想いを聞きました。
01旅先での経験から、壁画アートに出会えた。
私たちぺんてるがルルさんとはじめて出会ったのは、2023年冬に愛知県豊橋市で行われたアートイベントでした。子どもをはじめとした400人の参加者とともにルルさんが手がけるのは氷上のアート。キャンバスに見立てた30m×60mのアイススケートリンクには、その年の思い出や楽しかったことがたくさん描き込まれていました。


愛知県のアクアアリーナ豊橋で行われた「氷におっきく絵を描こう!」という氷上お絵かきイベント。この時の画材はぺんてるの共同制作えのぐを使用。
「絵を描くこと自体が楽しいから」とアートイベントだけでなく、壁画、イラスト、絵本と多方面で活躍するルルさんですが、一方で世界中を旅しながら現地で壁画を描くといった活動も続けています。そこで私たちは、旅とアートを掛け合わせた活動を続ける理由が知りたいと、ルルさんが制作拠点とする名古屋市のアトリエにお邪魔させてもらいました。

河野ルルさん
「仕事を辞めて、海外のいろんな文化や現地の人の暮らしが見たくて旅に出ました。その道中では、メキシコのカラフルな刺繍の民芸品だったりもあって。マーケット自体が極彩色でとても彩り豊かなんですが、そういう光景からも影響を受けているのかもしれませんね」
原色のポンポン飾りに、かわいらしい動物のオブジェたち。世界中のマーケットで購入したという現地の民芸品が散りばめられたアトリエは、ルルさんが描き出す世界観そのもの。


メキシコ旅の道中で旅の資金が底をつき、日銭を稼ぐためにホテルのキッチンの壁に絵を描いたのが壁画アートの始まりだと言います。

2015年、人生最初の作品となったメキシコの宿のキッチンに描いた壁画。無料で宿泊する代わりにと交渉して描いた絵はオーナーと話し合い宇宙にフルーツや野菜が浮かぶデザインに。
壁画はもとより、絵の勉強さえもまったくしてこなかったルルさん。この出来事がきっかけで描くことの楽しさに目覚め、独学で2016年より絵描きとしての活動をスタートします。その後、アートフェア「UNKNOWN ASIA ART EXCHANGE OSAKA」で日本人初のグランプリを受賞したことで人生が激変。大好きな旅とアートを掛け合わせた活動がはじまったといいますが、なぜ海外で壁画を描き続けるのでしょうか。
「貧しい子どもたちが絵本に一冊も触れることなく、女の子は15歳になったら結婚するという文化の中で生きている。そんな現実を見た後に海外から日本に帰ってくると、生まれた場所が違うだけで、なんでこんなに差があるんだろう…と思ってしまって。そして思い至ったのが、そういう環境で生きている子どもたちにこそ絵を描くよろこびや表現するよろこび、アートに触れてもらいたい、ということでした」
旅をしながら壁画を描いて、現地の子どもたちにアートに触れてもらうこと。そしてそれをきっかけに、何か少しでも子どもたちの中でよい変化が起きるきっかけになれば。そんな想いを胸に活動を続けるルルさん。
壁画を通してそこに何かが生まれる。
そんな風に毎回予想もしていなかったようなできごとや感情に出会えるのもまた、壁画旅の魅力のひとつなのかもしれません。


大好きな絵を描くことをなりわいとして、国内では壁画やイラストの制作依頼に大忙しなルルさん。仕事として依頼を受けたものにもやりがいを感じつつ、チャリティーやボランティアで壁画を描くことこそライフワークだといいます。
02絵本に触れたことのない子どもたちに、イマジネーションを。
旅先で文化の違いに触れたり、見知らぬ人と仲良くなったり。そんな異国でのコミュニケーションが好きだからと世界中を旅してきたルルさんですが、開発途上国の子どもたちと触れ合う中で、彼らの中にイマジネーションやファンタジーが豊かに育まれていないのではないかと疑問を持ったといいます。
「インドで子どもたちに絵を描いてもらったのですが、目の前にある木や建物をそのまま描くだけで、想像上のものや、空想を表現したような絵が一枚もなくて。もしかしたらこの子たちは、そういったイメージがあふれる絵本やアートに触れるシーンが身近になくて、自分自身でも想像をしたり空想を表現する機会を持つことができなかったのかもと。国が違えばイマジネーションの差がこんなにもあるのかと、驚きました。だから私はあえて空想上の生き物を描いたり、みんなの頭の中にないようなものを壁画に描こうと思っているんです」


絵本に一度も触れることなく大人になり、その大人がまた子を育てる。
そんな文化の中で、少しでも子どもたちにイマジネーションを育んでもらえたら。そしてルルさんのように、世界中を飛び回って壁画を描く女性がいること、世の中には色々な選択肢があることを感じてもらいたいと言います。
「とはいえ、一つの壁画でその子たちの文化や生活が一気に変わるわけじゃないことはわかっているんですけどね」
そう呟くルルさんですが、最初は恥ずかしがって近づいてこなかった現地の女の子が話しかけてくれるようになり、ときにはお菓子を持ってきてくれるようになったりと、少しずつ子どもたちが変化してアクションが増えていったことが嬉しかったそう。

壁画のデザインはあえて事前に決めず、現地で会話をしながら考えていくという。子どもたちとの対話から描くイメージを膨らませていく。

旅に出るまでは、どちらかといえばネガティブだったというルルさん。
けれども、無理かもしれないと思ったことに挑戦したら意外とできた。そんな成功体験を積み重ねることで「どうにかなる」といった前向きな思考になった自身の経験から、現地の子どもたちにも小さな成功体験を積み重ねてもらい、今後の人生がいい方向に向かえばいいとルルさんは願っています。
だからこそ、現地の子どもたちと一緒に壁画を描くことも、海外での制作における大切なミッションなのだそう。
「グラフィティのように自分をアピールする作品というよりは、その場所をより好きになってもらうために壁画を描いているのかな。特に現地の人たちが毎日見るものだと、誰か知らない人が描いた絵よりも自分が関わった絵の方がいいですよね。『ここは僕が描いたんだよ!』と嬉しそうに話している子を見ると、こっちまで嬉しくなるんですよ」



壁画を描いていると自然と子どもたちが集まってきて、自ら手伝いを買って出る子どもも。自らの手で壁を色鮮やかに染めていくことによろこびを感じる子どもたち。その明るい表情はルルさんのよろこびでもある。
壁画制作で世界が大きく変わるわけではない。けれども、目の前にいる人に小さな成功体験やよろこびを与えることができる。それこそが、この活動をルルさんが続ける最大の理由なのかもしれません。
03制作を共にすると、家族のように親しくなる。
はじめて描いたメキシコでの壁画から作風はさほど変わっていないというルルさん。けれども絵描きとしてのはじまりは、旅先で日銭を稼ぐため。チャリティーで描く今とは描く目的が大きく変わっています。
「絵描きになりたてのころだったかな。友人が入院したので病室に勝手に絵を持ち込んだことがあるんです。そしたら友人だけでなく看護師さんたちにもよろこんでもらえて。そのときに自分の絵が誰かの役に立つのっていいなと思ったことが、海外の貧しい場所で生きている子どもたちのために壁画を描く大きなきっかけになったというか。私の絵がカラフルな色づかいだからか、どこの国でも同じように受け入れてくれるんですよね」


使い込まれた筆の中には、ぺんてるのえふで「ネオセーブル」も。画材は気に入ったものを繰り返し使いつつ、常に新しい画材も試しているのだそう。

現地の人に刺繍してもらった筆ケース。
明るく、楽しく、ポジティブに。そんな周りをパッと朗らかな気持ちにするルルさんの作風と性格も相まってか、国内では幼稚園、保育園、図書館といった子どもにまつわる施設や、病院、福祉施設からの依頼も多いという。その一つが名古屋大学の「エネルギー変換エレクトロニクス研究館(C-TECs)」に描いた横幅18mもの大きな壁画。ということで、久しぶりに訪れるというルルさんとともにC-TECsにもお邪魔させていただきました。
「どこかで私の壁画を見て、それで連絡をいただくことが多いかも。ここの作品もそうでしたね」

ノーベル賞を受賞した名古屋大学・天野浩教授の新しい研究施設「C-TECs」のエントランスに描いた作品(2019年)
名古屋大学の職員の方が市内の水泳教室の壁に描かれていたルルさんの壁画を見たことが依頼の発端だったそう。当初は「名古屋大学特定基金 青色LED基金」に寄附をしていただいた方々の名前を館内の壁にそのまま顕彰しようと考えていたものの、ルルさんの作品を見て壁画そのものを銘板にするアイデアを思いついたといいます。
「毎日通って作品を描いていると、顔見知りが増えていくんですよ。家族のように親しくなったり、完成から何年経っても連絡を取り合ったりすることができるのは、ただ絵を描くだけじゃない楽しさがあります」

その言葉を体現するかのように、この日も大学職員の方々と親しく話をしていたルルさん。
国内で対価を得て描く作品と、海外でチャリティーとして描く作品に違いがあるのか、尋ねてみると。
「国内で仕事として受けた壁画やイラストは、納期までにきちんと納品しなければという責任感はちょっとありますね(笑)。でも、どこで絵を描いていても楽しくて。国内の仕事であっても、楽しみすぎて前日の夜に眠れないときもあるくらいです」
C-TECsの壁画を眺めていると、ところどころ筆遣いが違うところが。これはC-TECsを利用する教員や学生が毎日見るものだからと、海外での制作同様にみんなで描きあげたため。
「そうそう、卒業間近の学生が記念になるからと参加してくれたりしましたね」
と、ルルさんも壁画を見つめながら当時のことを思い出している様子。参加した教員や学生も、この壁画を見れば、制作していたひとときを懐かしく思い出すのかもしれません。自身が参加した作品に愛着を感じ、一人ひとりの思い出として刻まれることは、大人も、子どもも、そして国が違ったとしても変わらないのでしょう。

壁画に描かれた人物の絵の色塗りは、教員や学生さんたちによるもの。それぞれの個性が出ている。

数式や研究室でよく使われる言葉も絵のモチーフに。
04壁画を通して、互いの心が救われれば。
「今年はマダガスカルとエチオピアに行きたいんです」とすでに次の旅の構想をしているルルさんに、今後やってみたいこと、描いてみたいものを聞いてみると。
「旅に行って壁画を描くことが何よりもやりたいことだから、今後もどんどんやっていきたいですね」
とブレない姿勢を見せた後、呼吸をおいて思い出したように言葉を続けます。
「…いつか小児病棟に、まるまる描いてみたいんですよね」

子どもたちが病気で入院している病院の外壁や内壁を、子どもたちが大好きなもので埋め尽くしてみたいというのが現時点での大きな目標だという。
「子どもたちが辛そうにしているのを見ると、周りにいる私たちも辛く感じてしまうじゃないですか。壁画を通して、そういう子どもたちを少しでもよろこばせることができたら、自分が役に立てたような気分になるかなって…」
描くことでルルさん自身が救われることもあるそう。きっと、開発途上国をめぐりながら描き続ける活動の裏にも、似たような気持ちがあるのでしょう。

国内での活動も精力的。兵庫の幼稚園の壁画(2020年)

愛知の児童発達支援・放課後等デイサービス施設の壁画(2021年)
「あと、プールの底に海の絵も描いてみたいんですよね。泳いでいるときに海の景色があったら楽しいじゃないですか」と話すように、純粋に絵を楽しんでもらうことも目標のひとつだとか。実現したならば、アイススケートリンクでのイベントやC-TECsの壁画のように、大勢の人が携わる壮大な作品になるに違いありません。

「壁画文化が根付いているメキシコの街は、歩いているだけで楽しいんですよ。日本でももっと子どもに関わる場所に壁画が増えていくといいですよね。海外のように定期的に絵が更新される壁があると楽しいだろうとも思います」
そう話すルルさんに、自身の壁画は塗りつぶされることなく現地に残っていて欲しいか否か。最後にそんな質問を投げかけてみると。
「残っておいてほしいですね。でも消されていたりボロボロになっていたら、また描きに行くのもいいかな。作品を残す、残さないではなく、みんなで描く過程の方が大事だと思っているので」
この言葉どおりに「壁画をまた描こうよ!」と海外から連絡があれば、ルルさんはバックパックに筆とえのぐを詰めて旅に出るはずです。
壁画を描き続ける限り、世界中に家族のような友人が増え続けていく。それもまた、ルルさんが「旅×アート」を続けるには欠かせない原動力なのです。
