ぺんてるの山田です

シャープペン替芯の違いがわからなかった君へ。Pentel Ainという選択

シャープペン替芯の違いがわからなかった君へ。Pentel Ainという選択

こんにちは、ぺんてるの山田です。

先日ついに、13年振りのシャープペン替芯の新製品「Pentel Ain」が発売になりました。ぺんてる筆やぺんてるペン、ボールPentelと同様に、社名を冠した気鋭の新ブランド。自動芯出し機構搭載の新型シャープペン「オレンズAT」と並んで、いま弊社でもっとも熱い製品といってよいでしょう。焼成して製造しているだけに。

2023年は芯がキーワード、になるかどうかはわかりませんが、その流れに乗らない手はない、ということで、今回はシャープペン替芯、いわゆる「シャー芯」のお話です。

01違いのわからない私とシャープペン替芯

「シャー芯、なに使ってた?」

そう問われて、即座に答えられるのは、現役の学生、もしくは一握りの文具好きだけだろう。文具メーカー社員なら、きっと学生時代からそのあたりにはこだわって選んでいたに違いないと思われがちだが、別にそんなことはない。ソースは私である。

学生時代の私は、シャープペン替芯のブランドについて、正直、まったく気にしていなかった。気にするのは、芯径と硬度と価格のみ。その時々で、店頭でプッシュされているもの、おまけがついているものなどを適当に買っていた。おまけの種類によっては、必要以上にまとめて買い込むこともあり、どうせいつか使うから、消耗品だからということを免罪符にしていた。いいカモ、もとい、理想的な消費者である。

シャープペンの違いはわかっても、替芯の違いはわからない。ケースから出してしまえば、見た目はどれも同じだし、性能も大差ない。書けさえすればそれで十分であり、他の筆記具のように、より好ましいものを求めてあれこれ手を出すこともしなかった。

過去に使っていたシャープペンは、ピアニッシモとドクターグリップとドットイー・ティントだったとはっきり言えるが、それでは、それらに入れていた替芯は何だったかと問われると、答えに窮する。驚くほどに、何も思い出せない。覚えているのは、0.5のHBかBだったか、ということくらいだ。

白状すると、家族の分を含めて、中途半端に使いかけの替芯が溜まってきたときには、ブランドなど一切気にせず、どれか1つのケースにまとめるという暴挙に及んでいた。この意識の低さは何だろうか。

 

言い訳をさせてもらうと、そもそも「替芯」という名前からして、何かの代替、スペアであることを意味しているのであって、唯一無二の本質的なものではないという響きを潜在的に宿している。どこか影の薄い、決して主役にはなれないことを運命づけられているような印象を受けるのだ。

ただの「芯」ではなく、「替芯」。オリジナルではない、いくらでも替えのきくもの。「私が折れても代わりはいるもの」「たぶん私は3本目だと思うから」とか言い出しそうだ。

「一本、芯が通っている」と聞くと、心強いような気がするが、もしそれが「替芯」だったら、大丈夫だろうかとちょっと心配になる。いや、替芯だって、原料から練り合わされ成形され、高温で焼かれたうえに油に浸けられるという過酷な旅路を経て、ここまできているのだから、私などよりよほど強靭であるといえるのだが。

 

シャー芯はあくまでも「シャープペン替芯」であって、それ単体で使えるものではなく、何らかのシャープペンを必要とする。そして、たいていのシャープペンには、購入したときからデフォルトで芯が入っている。

何も入っていないシャープペンに初めて芯を入れるときにも、それは「替芯」なのだろうか、と素朴な疑問が浮かぶが、当社ではこれを「内蔵芯」と呼んでいる。デフォルトでどの硬度の芯を内蔵しているのか、製品カタログやWebページにさりげなく記載されているので、気になる人はのぞいてみてほしい。

多くの場合、内蔵芯はHBであり、シャープペンの個性によっては、書き心地のなめらかさや、くっきり書けることを重視して、Bや2Bにしている場合もある。
たとえば、ガシガシとラフに使うことを想定したシャープペン「タフ」の場合、芯径0.5はB、0.7と0.9は2Bを内蔵しているし、最新の「オレンズAT」は、実はBだったりする。作り手として、これがベストと考える組み合わせにしているため、買ったときの初期設定のままで使い続けたいなら、替芯はシャープペンと同じメーカーの純正芯、それも、内蔵芯と同じ硬度を選ぶとよいだろう。

その内蔵芯がなくなって、初めて替芯の出番となる。あるいは、その少し前からシャープペンに補充されることによって、芯タンクの中で交ざりあい、どれが内蔵芯でどれが替芯かは、わからなくなっているかもしれない。
そうして、なんの違和感もなくスムーズに、替芯は役割を果たす。自らは主張することなく、重要な働きをこなす、これぞ裏方である。担当者が変わったことも気取らせない、見事な業務引き継ぎだ。社会人として見習いたい。

02書けなかった替芯の話

シャープペンがきちんと書けるのは、シャープペンの力だけではなく、内なる替芯の存在があってこそである。だが、身の回りのさまざまなものごとについてもいえるように、きちんと働きをこなせているときは、誰もあえてそれに注目したりはしないものだ。「シャープペンで書く」とは言っても、「替芯で書く」とは言わない。せいぜい、残りの芯が短くなってうまく書けなくなったときや、芯を切らしてしまったときに、存在を思い出す程度のことだ。

普段意識することもない、替芯の存在が、いかに重要であったか。それを、私が思い知ったできごとがある。

 

学生時代、とある試験のため受験センターのような場所に行った。そこでは、試験自体はパソコンで受験し、補助的にメモを取ることは許されていたものの、筆記具の持ち込みは禁止されており、会場に備え付けのシャープペンを貸し出されて使用する形式だった。

いざ、試験が始まり、そのシャープペンで書いてみようとしたのだが、書けない。いや、うっすらと書けてはいるのだが、極めてシロに近いグレーといった程度の薄さだ。明らかにHBの濃さではない。
つるつるのコート紙にむりやりシャープペンで書こうとしているかのようだといえば、近いだろうか。ペン先を走らせるたびに、キシキシと芯が軋む感覚がある。

少しでも濃い筆跡を求めて、書く手にも力がこもるが、そうすると芯が折れる。筆圧と、芯の強度と、筆跡の濃度のせめぎあい。もはや、芯で書いているのだか、シャープペンのパイプで紙を削って筆跡を残しているのだか、わからない。

素人なりにも、これはシャープペンの責任ではなく、中の芯が原因であることはわかった。頼むからちゃんと書けるシャー芯を用意してくれ、もしくは、シャー芯だけでも持ち込み可にしてくれ、と強く思った。

シャープペンとシャー芯をはっきり区別して認識したのは、そのときくらいだ。ボールペンやマーカーならば、インキ切れなどにより、書こうと思っても書けないというケースはよくあるが、シャープペンが故障しているわけでもないのに書けない、という場面は、そうあるものではない。それだけに、このときのことは、少なからぬ衝撃でもって、今も記憶に刻まれている。

 

後にその体験が影響して、というわけではなく、たまたまぺんてるに入社した私であるが、文具メーカー社員だからといって皆が皆、一瞥(いちべつ)しただけで、あるいは、手にしただけで替芯の違いがわかるというわけではない。筆記感の違いにしても、微々たるものだ。

実際に、同じ見た目のシャープペンに異なるメーカーの芯を入れて、違いを判別できるかのテストに参加したことがあり、あのときはまるで格付けをチェックされているような緊張感をおぼえたものだが、だいぶ書いてみて、ようやく、これがぺんてるの替芯だろうな、とわかる程度であった。それも、判断基準は「普段、自分が使い慣れている芯の書き心地に近いから」というだけであり、社員にしか通用しない基準だ。

性能を比較してみると、メーカーによっていろいろと違いがあるらしい。もちろん、こだわりがあるのであれば、性能のレーダーチャートを見比べ、実際に書き比べて、理想の書き味に一番近いものを求めるのも楽しいものだ。
だが、それほどではない、という人々にとって、それぞれの差異は、実際に使う中では、おそらくは問題にならない。私が過去に受験センターで出くわしたようなものであれば別だが、今、替芯はいずれのブランドにしても高いレベルにあり、使い慣れた芯径と硬度を選べば、使用に支障をきたすことは、まずないだろう。

替芯は、他の替芯とも替えが利く。なぜなら、替芯だから。

他のさまざまな製品にもいえるように、行き着くところまで行き着いてコモディティ化したもの。替芯は、その典型だといえる。実際、かつての私は、おまけで選んでいた。替芯自体はどれも同じに思えるのだから、製品そのもの以外の部分で選ぶしかない。あるいは、お得なキャンペーンにつられることもあるかもしれない。いずれにしても、どの替芯であっても適用可能な外部要因だ。

 

だが、どれでもいいと思われがちな替芯にも、替えが利かない要素がある。だいぶ前置きが長くなってしまったが、それを教えてくれたのが、1月に発売した新製品「Pentel Ain」だ。

03替芯とは芯のみにあらず。Pentel Ainが教えてくれたこと

Pentel Ainは、13年ぶりにリニューアルした気鋭のシャープペン替芯だ。替芯の基本性能である、濃さ、折れにくさ、減りにくさ、消しやすさといった要素は、ひとつを伸ばせばひとつが低下してしまう、複雑に絡み合った関係にある。それらをバランスよく高次元で両立したうえで、特殊オイルの採用によって、従来品よりなめらかさを向上した「なめらか芯」である。

などと、もっともらしく語っているが、これはプレスリリースの受け売りだ。聞いたことをそのまま書いているにすぎない。私が実際に使ってみて、よりなめらかになっていることに驚き、通常の3倍の速さで仕事を片付けることができたといったエピソードは、残念ながら存在しない。
なにしろ、違いのわからない人間である。従来の芯と新しい芯とを書き比べて違いをレビューするという、高尚な趣味をたしなむわけではない素人が、Pentel Ainの性能を適切にレポートできるとは思えない。

だから、ここでは芯そのものについて、特に語ることはしない。詳しく知りたい方は、ページ下部のリンクから「ぺんてるモノ物語」のPentel Ain回を参照してほしい。原料の黒鉛の採掘現場まで行ってきた開発者自らが語っている。こういう開発秘話を聞くと、細い替芯1本にどれだけの技術と熱意が注ぎ込まれているのかわかって、すごいものだなとまじまじと見つめたくなるし、無駄にすることなく大切に使いたくなる。

それでは、芯そのもの以外で、Pentel Ainの何を語って残りのページを埋めるのか。替芯から芯を取ったら、何も残らないと思われるかもしれない。せいぜい「替」の一文字くらいか。いや、その前に、違いのわからない私にも、わかることがある。

ひとつは、ケースのデザイン。
私もそうだが、替芯というとまず、ケースから出した中身の芯が思い浮かぶ。だが、替芯とは、芯のみで成立する製品ではない。その芯は、必ずといっていいほど、ケースに入っている。ケースと芯、両方を含めて、替芯である。これは各ブランドが工夫を凝らしていて、中身の違いよりも明確に、見た目や機能の違いを実感できる。

ケースはただのケースであって、大事なのは中身だろうと言われるかもしれないが、それを言うならシャープペンだって、大事なのは中身の機構であって、外観はどうでもいいという話になる。もちろん、そんなわけがなく、ボディの太さや長さや重さ、重心のバランス、色や材質、グリップの好みは千差万別であり、人それぞれに、ゆずれない価値基準を持っている。

シャープペン替芯は、他のペン類とは違って、そう毎日のように手に取るものではないが、かといって、いざというときに持っていないと詰むので、念のためペンケースには常備しておきたい、というお守りのような存在だ。使う時間としてはわずかでも、ずっと手元にあって、待機している。
となれば、普段の見た目、そして、使わないときに勝手にケースが開いて芯が飛び出ない、といった機能性は重要だ。実際に、お気に入りの替芯ケースを、中身を入れ替えて長年使い続けているという人も、少なくはない。

シャープペンが、ただ芯を保持するだけのものではないのと同じように、替芯ケースもまた、ただ流通上の都合で替芯を収めておくためだけのパッケージではない。筆記具が「書く」を追究しているというならば、替芯ケースは「替芯を出す」という行為をつきつめて設計されている。
いかに簡単に、必要な本数が取れて、かつ、不用意に開くことなく安心して使えるか。

こんなことを言っていいのかわからないが、私もこれまで、替芯ケースの使い勝手など特に意識したことがなかったし、ケースの「機能」を語るという視点を持っていなかったが、Pentel Ainのケースにまつわる話を聞き、実際に試してみて初めて、それを実感した。

これまでの、基本的にフタを開けて逆さまに傾けることで芯を滑り出させるという動きとは、まるで異なる。ケースを手に取ったら、親指で下へスライドすることでロックを解除し、そのまま横へと展開させる。長すぎず短すぎず、ちょうどよい長さで替芯の頭が出ているので、必要な本数をつまみ出す。以上である。

フタを開けるために両手がふさがることも、加減をみながら傾けたケースをトントンと叩いて慎重に芯を滑り出させることも、それに失敗して大量の芯をぶちまけ、何本かは哀れにも回収不能になるといったこともない。1本だけ取るのも、複数本をまとめて取るのも、自由自在だ。

扇状にケースが開くことによって、自然と取り出しやすい角度がつくのも、さあどうぞご自由にお取りくださいと会釈されているようで、ちょっと嬉しくなる。ケース背面はシンプルで、取り出す際に指がパーツに引っ掛かることもなく、前面より高さを抑えることで、つまみやすくしているという細やかな工夫もある。

なにかにつけて、中身が大事だとよく言われるが、かといって、中身だけが大事なのではない。いくら中身が良かろうと、外側がよろしくなければ、そもそも中身まで興味を持たれまい。中身が良いのであれば、外側もまた、それに見合うよう磨きをかけるべきだし、逆もまた然りだ。そうやって、内と外がいわば競い合うことで、全体として向上していく。

替芯も同じだ。ケース次第では、うまく取り出せなかったり、こぼしてしまったり、折れてしまったりして、せっかくの中身を台無しにしてしまうこともある。芯のためにも、自分の心の平穏のためにも、できるだけストレスの少ないものを選びたいものだ。

このスライド開閉は、ストレスにならないどころか、むしろ、心地よさすら感じられる。特に、縦方向でロック開閉をする際の、なめらかな動きが好ましい。ハイスペックなスマートフォンを思わせる、操作に対する反応の良さは、「ヌルっと動く」と形容したくなるほどだ。スライドが止まるときにも、何かに衝突するような乱暴さがなく、まるで自然に吸い込まれるような、優しい感触だ。カチッと小さな音と手ごたえで、ロックの開閉を知らせてくれる。楽しくて、つい何度も開け閉めしてしまった。

10代の頃、眠気覚ましにミントタブレットのケースを開けるという行為を格好良いものだと信じていた時期があり、むやみに持ち歩いてケースを開け閉めしては小さな満足感を抱いていたものだが、その感覚を思い出す。その当時にどんな替芯を使っていたのだったかは思い出せないが、もしあの頃の私にPentel Ainを使わせていたら、きっと、そのケースを開ける所作とともに、今もはっきりと記憶に刻まれていたことだろうと思う。

 

芯とケース。両者が合わさって、初めて替芯という製品になる──いや、それだけでは、まだ足りない。「ある替芯」が「Pentel Ain」になるために、もうひとつ、必要なものがある。

04なめらか芯、進む。受け継がれる替芯の物語

Pentel Ainを前にして、さらにひとつ、他と違って、明確にいえること。
それは、ぺんてるが作っているということだ。「Ain」ではなく「Pentel Ain」と、あえて商品名の頭に社名を入れていることからも、それを強調したい意図が見て取れる。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。どんな替芯だって、どこかのメーカーが作っているということに変わりはない。他でもない、ぺんてるが作っているということが、何を表すのか。

それは、物語だ。

ぺんてるは1960年、それまでの太くてもろい粘土芯に代わる細さと強度を備えたハイポリマー芯を、世界に先駆けて発売している。これにより、シャープペンは従来の繰り出し式から、より効率的なノック式へと進化し、その後の普及へとつながっていった。そして現在に至るまで、ぺんてるでは替芯とシャープペンを研究し続けている。

替芯メーカーの先駆けであり、作り続けているという自負。それは、過去の遺産であって、現在の製品そのものとは何の関係もない、旧時代の精神論といわれるかもしれない。しかし、今も製品を生み出しているのは、精神のある人間である。ぺんてる社員という文脈を共有した人々が務めを果たしている以上、過去は現在に大いに関係しているともいえる。

継承するにせよ、変革するにせよ、何もないところから生まれることはなく、それまでの道筋と、その後への影響というものがある。年表に記されている歴史上のできごとは、その一瞬に始まって終わった、過去の一点ではない。それ以前から積み重ねられたものの結果であり、また、それ自体が流れの一部となって、その後へとつながり続けている。
替芯であっても、変わりはない。その系譜は、先人たちによって受け継がれてきたし、これからも紡がれていく。

作ったら終わり、ではない。その先を目指して、進み続けているのだ。

 

「なめらか芯、進む。」

これは、Pentel Ainのキャッチコピーを検討するにあたり、私が出した案のひとつだ。
「なめらか芯」という言葉を入れたいと聞いていたので、筆記が進むなめらかさ、ユーザーが書くことで未来へ進んでいくというイメージとともに、替芯それ自体が歩みを止めることなく進化し続ける、という一種の決意表明の意味を込めた。

ハイポリマー芯の時代から進み続けた結果として、Pentel Ainがあり、それもまた終着点ではなく、これからも進み続ける。替芯も、我々も。
例によって、ちょっとよくわからない、ということでこれはボツとなったわけであるが、伝えたいのは、つまりこういうことだろうと思っている。

一般に、替芯を試し書きできる機会はめったになく、ケースに入ったそれを買うのは、いわば、中身のわからないものを買っているようなものだ。しかも、それなりに内容量があるので、しばらくは使い続けることになる。できれば、失敗のないものを選びたいという心境になるのは、自然なことだ。そのとき、この物語が、少しでも手がかりになれば良いと思う。

 

Pentel Ainの「Ain」は、全部入りの「All-in」を意味しているらしい。何かを犠牲にして何かを突出させるのではなく、均衡のとれたバランス型。そしてPentel Ainの「Pentel」には、先に述べたような物語が込められている。

よくわからないが、オールマイティっぽいし、ずっと作っているんだから、普通に使えそう。
そんなようなことで、替芯を選ぶ。不思議なことで、意識して使っていると、芯そのものの違いがわかるようになる。一番シャープペンを使っていた学生時代には、どの替芯でも気にしていなかったのに、ぺんてるに入社して自社の替芯だけを使うようになってからは、他と区別がつくようになった、私のように。

もちろん、これは私がぺんてる社員であるから、その歴史を知っているし、思い入れがあるし、ひいき目に見ているという側面がある。同じように、どの企業もどの製品も、それぞれに、このような物語があるはずだし、それぞれに、それを伝えていけばいい。

先駆けだのオリジンだのといって、歴史をむやみに振りかざすのが必ずしも正しいとは限らないが、別に自慢したくて言っているのではなく、判断材料にしてほしいから言っている。あくまで材料であって、判断するのは使い手の方々だ。言わなければ何も伝わらないので、今後も機会があればしつこく繰り返すことと思うが、温かく見守ってもらえるとありがたい。

05「書く」の前にあるもの

一時期、シャープペンや替芯のキャッチフレーズといえば「ノートがきれいに書ける」であった。メインユーザーである中高生にとって、たいへんわかりやすく、直接的なベネフィットである。成績が上がる、と明言することはできないため、それとは言わないが、ほぼ同義といっていいだろう。
ペン先の視界が良好であること、細い線が書けること、擦っても汚れないことなど、シャープペンの総合力によって、きれいなノートという結果が手に入る。すなわち、「書いた後」に着目しているといえる。

一方、「書いている最中」に注目するというのは、いわば筆記具開発の本領であり、たとえばオレンズATの自動芯出し機構およびオレンズシステム、あるいは、スマッシュの先金・前軸一体型やラバー付き金属グリップ、製図用シャープペンの4mmパイプや取り外し可能なクリップなど、搭載された機能と工夫は、枚挙にいとまがない。きっと今後も、目新しいものが続々と登場してくることだろう。

このように筆記具は、書いている最中のことも、書いた後のことも考えて作られてきた。それでは、後でも最中でもなく、「書く前」にあたるものは、なんだろうか。

そんなものは存在しない、というのも、ひとつの答えだ。あるいは、頭の中に浮かんだアイデアがそうだ、ともいえる。シャープペンをノックする瞬間がそうである、というのも、いいだろう。だが、私は思う。

それは、替芯ケースを開けることではないか。

芯を切らしたら、シャープペンで書くことはできない。替芯ケースを開けることは、シャープペンで書くという未来に向けての、「書く前」にあたる。
いずれ書くときのために、ケースを開け、芯を取り出して、補充する。それでいうと、替芯ケースを持ち歩いている時間、それもまた、「書く前」を構成する要素であるといえる。

研ぎ澄まされたノイズレスなデザイン、黒鉛を思わせるカラーリング、小気味良くスムーズな二段階スライド開閉。Pentel Ainを手にすると、書く前の意識が高まるのを感じる。
この替芯は、これからいったい、何を生み出すのだろう。そんなことを思いながら、つまんだ芯を補充する。

何事も、結果というのは、大半が準備で決まる、とも言われる。書いている最中の快適さも、書いた後に残るものも、もしかしたら、替芯ケースを開けたときから始まっているのかもしれない。安心して、心おきなく書くための舞台を整えるもの、それが替芯だ。

 

シャープペンがなければ、替芯を使うことはできない、と先に書いた。だが、逆に言えば、替芯がなければ、シャープペンを使うことはできない。

世の中には、あれだけ数多くのシャープペンが存在し、毎年のように新製品が登場するのに比べて、替芯の種類はごくわずかだ。それらのシャープペンのすべてを、替芯が支えている。
何本もシャープペンを持っていても、実はその中身は、すべて同じ替芯であったりする。替えが利くのは、替芯ではなくシャープペンのほうであって、「シャープペンと替芯」は「芯と替シャープペン」とも言い換えられる。

究極的には、私たちはシャープペンではなく、替芯で書いている。
学生時代、他の何も目に入らないほどに夢中になって、プリントの裏に言葉を書き綴っていたとき、私の頭の中と紙面とを繋いでいたのは、シャープペンだが、さらに突き詰めると、最後の接点は、替芯にほかならない。いつのまにか失くしてしまってまだ見つからない、あの頃愛用していたシャープペンと違って、替芯は形を変えて、書き残した裏紙の山、そこに今も残っていて、触れることができる。
そう考えると、どちらが裏方で、どちらが主役かなどというのは、私たちの見方ひとつだと思えてくる。

 

かつて筆記具が画一的、事務的であった時代はとうに過ぎ、今や数多くの種類が店に並び、人々はそれぞれのこだわりでもって、持つべきものを選んでいる。ペンケースに入れるペンは、どれも厳選されたお気に入りだろう。
その中でも、「どれでもいい」とされてきて、「なんとなく」入っていた、最後のアイテムが、替芯なのかもしれない。

替芯の補充は、なんとなくすること。少し面倒なこと。でもまあこんなものだろうと思って、多少の不便には目をつぶり、そのまま続けていること。
Pentel Ainは、それを変えるひとつのきっかけになり得る。

シャープペンを選ぶように、替芯も選ぶことができる。
次に替芯を買うときは、改めて、意識してみてはどうだろうか。「なんとなく」していることを見直してみると、きっと、思いがけない発見がある。

正解などない。何を基準に選んでも良い。性能、デザイン、物語。ネーミングが気に入った、というのでも良い。他のペンでなじみのあるメーカーだから、そこにしようというのもありだし、何か変な社員の宣伝記事を読んで気になった、というきっかけでもよい。

必要なのは、自分なりの理由でそれを選んだという事実だ。その瞬間、どれも同じようだった替芯は、「自分が選んだ替芯」に変わる。他と区別されるようになる。それまで、違わなかったものが、違うものになる。

そのこだわりは、きっと、他人からは見えない。
しかし、何気なくシャープペンを走らせながら、
「今、自分で選んだ、最高のシャー芯を使っているんだぜ」
そんなことを、ひそかに胸の内で思う、自分だけの愉しみというのも悪くないものだ。