ぺんてるの山田です

ユーザーによって生み出された価値に学ぶ。「あのスマッシュ」を手にする喜びとは

ユーザーによって生み出された価値に学ぶ。「あのスマッシュ」を手にする喜びとは

こんにちは、ぺんてるの山田です。

突然何者かと思われたかと思いますが、特に何者でもない、入社14年目の一般社員です。リニューアルオープンしたぺんてるコーポレートサイトに「マガジン」という読み物コーナーが誕生し、そこに社員の連載を載せるのも良いねということになり、広報の許可が下りたので、こうして書いています。

以前、「ぺんてるシャープペン研究部(シャー研)」noteで、サイドノック式シャープペンの記事を書いたことがあります。それで、「こいつなら何か書けるだろう」と思われたのだと思います。

とはいえ、私は研究開発者でも、商品企画者でもありません。
何を書こうか、と思い、何を書こうかと思った話を書こうと思いました。

テーマは、スマッシュ。すでにマガジン「みんなの声まとめました」第一弾としても取り上げられている、あの定番シャープペンです。

スマッシュで、何を書くか。「F3構造について詳しく知りたい」などのコアなご期待には添えそうになく、恐れ入りますが、しばしお付き合いいただけましたら幸いです。

※これは、「にわかがスマッシュについて考えてみた」という話なので、歴戦のスマッシュユーザー各位におかれては、「お前は何を言っているんだ」「スマッシュをわかっていない」「にわか」という感想を抱かれることだろうと思います。そんな、いわゆる「メーカーよりユーザーさんのほうが詳しい」現象は企業の宿命的なもので、そういった方々には、ぜひスマッシュについてもっと適切に語ってほしいし、ぺんてるへの入社をお待ちしております。

01「キャッチコピー不要の定番シャープペン」のキャッチコピーを考える、という仕事

「ぺんてるシャープペン研究部(シャー研)」noteで1万字ほどかけてサイドノック式シャープペンへの愛を語ったのは、今から36万4000年前のことだっただろうか。

その間に、いろいろあって部署は変わったが、さほど業務内容は変わらないし、異例の昇進の気配はないし、ドットイー・ティントが復活する兆しも相変わらずない。そんな悶々とした想いを抱える中で、シャープペンに関するプロジェクトに参加せよ、という話がもたらされたとき、よぎったのは、いよいよサイドノック式シャープペンを国内で再発売するのか、という期待であった。部署の垣根を越えて呼ばれる理由は、それくらいしか思いつかない。意気揚々と、私はプロジェクトに参加を申し入れた。

 

「スマッシュの新定番色を追加するから、新しいキャッチコピー考えて」

課されたのは、サイドノックのサの字もない仕事だった。うん、知ってた。一度廃番になった商品が、そうやすやすと復活なんて、するわけがない。定番品のラインナップ追加に伴う施策のほうが、よほど現実的というものだ。

自分の好きなことだけを仕事にできるのであれば、それはとても幸せなことであるが、そうはいかないのが人生だ。シャープペンがきっかけで入社しながら、特にそれとは無関係の部署で研鑽を積むこと十数年、いちいちダメージを受ける私ではない。切り替えていこう。

 

それにしても──スマッシュ。

製図用シャープペンの機能を備えた一般筆記用として発売してから30年超。一時は廃番の危機もありながら、ネット上で好意的なレビューが蓄積、Amazon年間ランキング筆記具部門で1位を獲得して人気YouTuberに紹介されたことで返り咲き、今や定番シャープペンの地位を獲得したロングセラー。

現在に至るまで継続的に供給されているのは黒軸であるが、当社のクレヨンの色数よりも数多の限定カラーが存在することでも知られ、コレクション要素も備えている。「おすすめのシャープペン」を検索すると、たいてい言及されているという、ぺんてるを代表する売れ筋商品。

 

キャッチコピー、今更、必要か?

 

私がアサインされたのは、シャー研の部員の一人であり、なにやらシャープペンについて長々と語ったことで一瞬注目されたことがあり、こいつに頼めばなにかバズるキャッチコピーを思いついてスマッシュが1万本とは言わないが10本くらいは売れるだろう、という期待があったのかもしれない。

残念ながら、それは見込み違いというものだ。あの記事が一瞬注目されたのは、あれを見つけて広めてくれた方々の類稀なるプレゼン力によるものであって、私の力ではない。人生に一度くらいは訪れるかもしれない幸運と偶然の産物であり、それをあたかも再現可能であるかのように解釈してはならない。狙ってバズらせるなどという芸当を、広告代理店でも敏腕コピーライターでもインフルエンサーでもない素人に期待するのは間違いだ。

過疎化に悩むサイドノック村の住民である私は、強大なるスマッシュ帝国について語る言葉を持たない。私が最もシャープペンを使っていた学生時代の相棒はドットイー・ティントただ一本であり、ほかのシャープペンなど考えもしなかったし、正直に言うと、ぺんてるに入社してからも、スマッシュを日常的に使用するようになったわけでもない。

文具メーカー社員なら皆、廃番品を含めたすべての自社製品を潤沢に手元に揃え、選びたい放題で日替わりで使っているものと思われがちであるが、実際はそうとも限らない。部署にもよるが、私のような特に商品開発に関わることのない人間のペン立ての容量は、一般的にイメージするオフィスのデスクのそれと変わらない。

私の手近なペン立てに入っているシャープペンは、このところは、ずっとオレンズである。メタルグリップでもない、シンプルな通常タイプだ。金属っぽくてメカメカしい、プロ感の漂う高価格帯のシャープペンを嗜んだ経験はない。やっぱり金属チャックだと精度が違うな、としみじみ感じ入ったこともなければ、重心の位置に気を遣うでもないし、先端パイプ長が4mmでも3mmでも特に気にしない。素人もいいところだ。

絶対、社内にもっと適切な愛用者がいる。実際、スマッシュが好きすぎて入社したという人物を、私は知っている。公言していないだけで、同様の人材はあと300人くらいはいるだろう。製品を偏愛する傾向がある社員の中でも、特にグラフ1000およびスマッシュの愛用者は、熱狂的な印象がある。そういう人ならば、スマッシュの良さについて、頼まれなくてもいくらでも語ってくれるのではないか。

そんな古参渦巻く世界に、限定カラーを一目見ただけで「これは○○年に■■店でXX本限定で発売されたやつですね」と特定する能力を持つわけでもない私が、のこのこと足を踏み入れて良いものだろうか。

にわかの素人がうかつなことを言って、社内外から燃やされる未来が見える。戦々恐々としながら、プロジェクトに参加したのだった。

02変えていくものと、変えてはいけないもの。語られてきた言葉から見る、スマッシュの価値とは

燃えたくはないので、まずは今日に至るスマッシュのこれまでのあらすじを学んだ。この辺りの記事にまとめられているようなことだ。

先にも述べたように、スマッシュはかつて廃番の危機から奇跡的な復活を遂げたという伝説がある。そのきっかけは、メーカー発信の広告や宣伝プランによるものではなく、ユーザーの声であった。長年実直に作り続けていたものが、時代の変化とともに当初の勢いを失い、メーカーとしてはそろそろ終売を検討するかというタイミングで、ユーザーの方々の評価が評価を呼ぶことによって、いつしか、名品として挙げられるようになったという、稀有な存在なのだそうだ。

そんな商品であるから、特にこれといった明確なキャッチコピーは存在していなかった。「ガンガン書ける」というフレーズは、発売当初からよく使われていたが、これは商品説明、セールスポイントに近いだろう。

特に何も言わなくても、良いものを作ることで、自然とロングセラーになるとは、メーカーとしてはありがたい限りである。予算をかけたからといって必ずしも成果が出るとは限らないのがビジネスであり、すべての商品がこんな風にいくなら良いのになと思わずにはいられない。

というわけで、スマッシュはすでにシャープペン好きな方々には知られた存在なので、キャッチコピーも必要ありません。解散。

などというわけにもいかなかったりする。

 

何もしていないのに自然に売れてくれるというのは、ありがたい限りだが、それは、メーカーの意図しないところで起こったことであり、裏を返せば、我々が本当にスマッシュを理解して動いているという保証がないということと同義でもある。これは、結構怖いことだ。

今は良いかもしれない。むしろ、余計なことをして失速させてしまうくらいなら、手出ししないでおこうという考えもあろう。だが、いつまでも、それに甘んじていて良いものだろうか。

時代は変化する。何を変えるべきで、何を変えてはならないのか。何事であれ、その判断に、向き合わなくてはならない日が、いずれ訪れる。変わらないであり続けるというのは、ただ同じことを続けてさえいれば良いということを意味するのではない。それは、変わらない本質を持ち続けるために、変わり続けることでもある。

スマッシュは良い商品だ。それは間違いない。だが、その良さとは、いったい何なのか。

良い商品というなら、我々はすべての商品を、良い商品だと思って作っている。ひとつひとつに、全力で取り組んでいる。モノとして製造するだけではなく、それをできるだけ店頭に並べてもらえるように取り組むし、その存在を広く知ってもらおうとニュースを発信するし、その良さについてさまざまな手段で伝えようとする。それらのすべての活動を通して、商品は誰かの手に届く。それでも、長く愛されるものもあれば、残念ながら消えていくものもある。

作り手として、これと定める軸もなしに、この先、スマッシュの本質を、その価値を、我々はちゃんと理解し、守っていけると断言できるだろうか。

これを定義し、スマッシュというブランドを継承していくこと、それが、メーカーとしての責務なのではないか。

我々は、もっとスマッシュを知らなければならない。

 

すなわち、このプロジェクトは、すでに存在しているスマッシュの価値を再定義する試みなのだと、私は理解した。作り手としての我々が思う価値だけではない。重要なのは、発売から35年の歴史の中で、主に使い手の人々によって作り上げられた価値だ。

もはや、スマッシュは我々だけのものではない。

もともと明確に規定されていなかったものを、逆算的に定めていくのだから、俺たちのスマッシュについて急にメーカーが何か変なことを言い出した、ということになってはならない。スマッシュとは何か、それを一番よく知っているのはユーザーなのだ。公式が解釈違いという悲劇は、完全になくすことは難しいが、お互いのために可能な限り避けたいものである。

そのために、プロジェクトでは、スマッシュがどのように語られているのかを見ていった。何をきっかけにして、スマッシュを手にしたのか。どこに魅力を感じるのか。周りの反応はどうか。スマッシュにはどうあってほしいか。

ユーザーインタビュー、商品レビュー、SNSの投稿、社内アンケート。現在の、また過去に蓄積した膨大な言葉を、書き出していく。

 

ブレない/剛性/硬さ/安心感/圧倒的な書きやすさ/頼りになる/一体感/安定感/至高/最強/完成形/名作/王道/定番/間違いない/変わらないでほしい/信頼/高評価/使わせると絶対ハマる/優越感/モチベ上がる/使っている人は「わかっている」/スマッシュ派/みんな使ってる/沼の入り口/おすすめ/推す/自分がクラスに布教した/使い込む/経年変化/かっこいい/ストイック…

 

ここに挙げたのはごく一部だが、1本のシャープペンについて、驚くほど多様な言葉が語られていた。そのどれもが、スマッシュへの深い理解と愛情に基づいていた。どれをとっても、スマッシュらしさに溢れており、メンバーで、幾度も「わかる」と頷きあった。

こんなにも、シャープペンを愛する人々がいる。目の前の仕事にだけ集中している間は、気づくことのできない、それは発見であり、喜びであった。メーカー社員にとって、製品を使っている人を見ること、そして、愛用者の声を聞くことは、この上ない喜びだ。この会社の社員で良かった、と感じ、自己肯定感が上がり、仕事への意欲が向上する。

それでなくとも、人が何か好きなものについて語っている姿というのは、胸を打つ。自分もそれが好きかどうかは関係なく、その熱量に対して、感銘を受けるのだ。それは、一心になにかに打ち込み、道を究めた人間に対して自然と抱く、尊敬の念に似ている。

例外なく、私も心を打たれ、愛社精神が高揚し、良い気分になって、それから、不安になった。スマッシュに寄せられる愛の深さに、私は向き合えるのだろうか。キャッチコピー不要説が、再び頭をもたげてくる。

 

なにしろ、新入社員時代に担当した、振って芯を出すタイプのシャープペン「シェイク」につけたキャッチコピーが「振るだけシェイク・スルー!」である。「シェイクする」と「ブレイクスルー」の語感を掛けました! と、うまいこと言ったみたいな顔でプレゼンした記憶がある。今すぐ消し去りたい。10年以上前のことなので、皆もう忘れてしまったのだろうか。どうか、そのまま忘れていてほしい。

封印したはずの前世の記憶が蘇ってくるほどの不安を覚えるのは、まだ自分がスマッシュについて何も知らない、という事実があるからだ。ユーザーの声を集めることで、だいぶ知識は深められたが、それだけでなく、実際に自分自身がユーザーとなって実感しなければ、見えないことも多い。

先にも述べたように、私はこれまで、ろくにスマッシュを使ってこなかった。マットな質感の軸がテカテカになり、塗装が剥げるまで使い込んでいる愛用者の社員も多い中で、実に嘆かわしいことである。彼らの域にまで至ることはすぐにはできないが、ともかく、少し前からペン立てにはスマッシュを立て、日常的に使うようにしていた。

03一人のユーザーとして、スマッシュを使って感じた、ただ一つのこと

スマッシュのスペックについては、一応メーカー社員なので、基本は把握している。

製図用の基本性能を備えていること。筆記中に緩むことのない、先金・前軸一体型。指先にフィットする、ラバー付き金属グリップ。良好な視界を確保する、4mmパイプ。先金は、不要な光の反射を抑えるマット仕様。プロっぽさが心をくすぐる、芯径表示窓。10万回ノック試験に耐える頑丈さ。ノック部分のラバーはバイクのサスペンションカバーをイメージしている。それくらいのことであれば、もっともらしく、さえずることができる。

しかし、これらは売り手の知識として刷り込まれたものだ。メーカーとして言いたいことであり、ユーザーの感想ではない。社歴が長くなるほどに、無意識のうちに会社の視点を己の内に取り入れてしまい、外部の人間としての感覚を失くしていくのは、社会人の宿命だ。今更、すべてを忘れて、無垢な心を取り戻すのは難しいが、その努力は怠るべきではない。

ユーザーとしての自分は、スマッシュに何を思うのだろうか。

例えば、しっかり握れる、フィットすると評判の、特徴的なグリップ。かつて、ドクターグリップのグリップをぐにぐにして遊んでいた私は、スマッシュのグリップをプチプチして遊んでしまうことがわかった。使っているうちに、どうしても気になって、無限にプチプチしてしまうのだ。やはり、人にはなかなか抜けない癖というものがある。だからこそ、世の中にはこれだけ数多くの種類のシャープペンが存在するのであり、それぞれに愛用者がいる。

 

そんな些細なことより、肝心のスマッシュの書き心地についてレビューしろ、という声が聞こえてきそうだ。たしかに、これはぺんてるの運用するマガジンであり、多くの企業活動がそうであるように、直接的にはそれと言わないが、つまりは、これを読んだ人が巡り巡って最終的に1本でも買ってくれたらいいなという効果を期待して活動しているものであるからして、一番のポイントである筆記性能について言及しないというのは、宣伝効果がないどころかマイナスですらある。速やかに掲載を取り下げたほうが良い。

ここは、私がスマッシュの良さに目覚めて、熱心なファンになり、その魅力を1万字ほど語る、というストーリー展開が妥当であり、上司からの覚えもめでたくなりそうであるが、隠しきれない演出のヤラセ感があり、なにより、私が唯一愛したドットイー・ティントへの裏切りとなる。いくら仕事とはいえ、自分に嘘をつくことはできない。

 

だから、その機能や性能の良さについて語ることはしない。それは、35年間でユーザーの方々から語られてきたことであり、それが真実だと思うからだ。

私がユーザーの立場として、感じたことをただ一点、シンプルに言う。

それは、自分が「スマッシュを使っている」という、ささやかな喜びと高揚だった。

0435年目の今だから言える、スマッシュの価値。そしてキャッチコピーへ

もともと、学生時代を通して1本の100円シャープペンを使い続ける人間である。ぺんてるに入社し、周りに筆記具が溢れる環境になっても、グラフ1000(1,100円)を日常的に使うことはなかったし、ケリー(1,650円)は緩衝材に包んで大切に引き出しに仕舞ったし、オレンズネロ(3,300円)に至っては、パッケージから出すこともできなかった。

※いずれも2022年11月時点の希望小売価格(税込)

自社製品を使いもせずに、メーカー社員を名乗れるのか、というお叱りを受けるかもしれないが、モノへの接し方、愛し方とは人それぞれである。筆記具に限らず、装身具しかり、書籍しかり、推しグッズしかり、存分に使い込むことで満足する人もいれば、指紋をつけないよう気を付けながら冷暗所に仕舞うことで愛を表現する人もいる(両方の場合もある)。なお私は、とある作品を信仰しているのだが、苦心して手に入れたそれにまつわる数量限定品を、畏れ多いという理由で、届いた箱のまま開けることができず、厳重に保管して数年になる。

 

1本1000円のシャープペンは、私にとって長い間、「自分が使うには、もったいない」ものだった。機能が優れていることは承知しているが、それを活かしきれる自信もない。ああいうのは、シャープペンにこだわりのある、違いのわかる人が持つものであって、自分には重く、不釣り合いだ。そんな思いから、なんとなく、距離を置いていた。今回のような機会がなければ、その距離が縮まることはなかったかもしれない。

今回、ペン立ての一軍入りをさせてから、手にするたびに、「あのスマッシュを使っている」と感じた。ただの「スマッシュ」ではなく、「あのスマッシュ」。ほかの馴染みの筆記具では、感じることのない、新鮮な心地だった。

手に取って、軸の意外な軽さと、グリップ部の確かな重みと冷たさを感じたとき。

柔らかさのあるノック感と、小気味の良いノック音が響いたとき。

グリップの感触、継ぎ目なくなめらかに先端に至る先金の形状を確認したとき。

確かな手応えのある書き味と、残された筆跡を目にしたとき。

ひとつひとつの瞬間に、スマッシュを感じた。頭をよぎるのは、スペックに関する知識であり、また、このシャープペンを愛する人々が語った言葉だった。ああ、あれは、こういうことだったのかという確認、あるいは、追体験。それらの要素が集まることで、私の認識するスマッシュを構成していた。

手の中のスマッシュを確かめるとき、自分ひとりで見ているのではない。これまでにスマッシュを使ってきた人々の目を通して、私はスマッシュを見つめ、解釈し、幾重にもその存在を感じているのだとわかった。

そして、圧倒されるほどのそれは、実はほんの一角にすぎず、本当は、把握しきれない膨大な言葉が語られているはずだ。35年分の、彼らが語った、それと同じものが、今、この手の中にある。

高揚感の正体は、モノとしての機能性のみに依るのではない。それを礎として、人々によって積み重ねられた、スマッシュの物語を感じるからだ。「スマッシュ」が「あのスマッシュ」になった、唯一無二の存在であることを感じるからだ。

スマッシュを使う人々、その一員に、自分が加わったと感じる。そのとき、見てきた言葉は、自分に接続する。同じ一つのものを通して、人々とつながっていると感じる。

自分は、スマッシュにふさわしくないと、ずっと思っていた。しかし、スマッシュがそんなことを言ったというわけでもなく、ただ、勝手にそう思い込んでいただけだ。自ら手に取り、使うことによって、いつの間にか、私も一人のスマッシュユーザーになっていた。

発売から35年間、変わらないシャープペン。しかし、今でなければ言えない、スマッシュでなくてはならない価値がある。その一端を、垣間見た気がした。

 

これは私の個人的な体験にすぎないが、ほかのプロジェクトメンバーにとっても、それぞれの気づきがあったことだろうと思う。

スマッシュの価値とは何か。語られた言葉を集め、分類することで、次第に輪郭をもって整理されてきた。

それはたとえば、機能とデザインそのものがもたらす、書きやすさや格好良さ。

たとえば、絶対的な信頼感や、使うことで得られる喜び。

たとえば、35年間選ばれ続けた、不変不滅の歴史。

これが欠けたら、スマッシュではないといえる何か。プロジェクトでは、これらの価値をまとめたブランドコンセプトを制定した。スマッシュとは何かという、共通理解のための指標だ。

内部資料のため、ここでお見せすることはできないが、これまでスマッシュに関わってきた人間たちが議論を尽くし、これならといって納得するものであったことはご報告したい。

 

さて、それを踏まえて、これらの価値を、いかにして、世に出すキャッチコピーに落とし込むか。ここからは、私の仕事だ。
1週間後にプレゼンするということで、通常業務と並行して、スマッシュについて考え続けた。グリップをプチプチとやりながら。

 

(後編へ)