ぺんてるの山田です
専用か、汎用か。君たちは道具をどう使うか
こんにちは、ぺんてるの山田です。
この夏、ついに、自宅にロボット掃除機を導入しました。前々から興味があったところへ、セールになっていたことで背中を押されて、気づいたらポチっていました。
早速、動かしてみたところ、床に置いてある物や家具の脚が掃除ルートの妨げになることがわかりました。ロボットの行く手を妨げないよう、物をどかし、棚の上や他の部屋に待避させます。撤去できない物については、その区域にロボットが侵入しないよう、バリケードを設置しました。
結果、居間だけはスムーズに掃除できるように最適化されたものの、他の部屋は待避した物で雑然とし、ロボットを招き入れるどころか、人の手でなくては掃除できなさそうな複雑に入り組んだ地形になりました。ロボットが掃除しやすい部屋は人間にとっても掃除しやすい部屋なので、どちらかというと面倒な部屋のほうを任せたかったのですが、ままならないものです。
全部屋を片付けろと言われればそれまでですが、それができれば苦労はしないのです。どこかに手をつければ、そのぶん、どこかにしわ寄せがいく。それが自然の摂理です。
なので現状、ロボット掃除機は、居間専用で稼働しています。はたして、これでどれだけの効率化になったのだろうかと、ふと思ったりします。やはり、汎用掃除機として、その性能をフルに発揮するためには、全部屋を片付けなくてはならないのでしょうか。
まあ、健気に動き回って掃除して巣に帰っていく姿を見ていると、ほほえましい気持ちで満たされるので、別に居間専用でも良いかと思えてくるのですが。
そんなわけで、今回は、専用や汎用についてのお話です。
01マークシート試験にはマークシートシャープペンシル一択、とは限らない
先日、マークシート試験を受けた。今や各種試験もパソコンで受験できるケースをよく見かける中にあって、古き良き手塗り形式である。使用する筆記具は、HB以上の濃さの鉛筆、もしくはシャープペンという指定がなされていた。
愛社精神にあふれる私が選んだのは、もちろん、ぺんてるのマークシートシャープペンシルであった。その名の通り、マークを確実に塗り潰すことを目的とした、太くなめらかな芯径1.3。しっかり握れるラバーグリップ。マークシートの、マークシートによる、マークシートのために生まれたシャープペン。
正直、日常的に使うものではない。マークシート試験と聞いて、久しぶりに存在を思い出したくらいだ。なんなら、ちゃんと使うのは初めてではないだろうか。ここで使わないで、いつ使うというのか。
マークシートシャープペンシルは、HBとBの2種類の硬度がある。慎重な私は、当日の湿度や紙との相性で最適な塗り心地となる方を選べるよう、両方を用意した。さらに、万が一机から落とすなどして使用不能になった場合に備えて、スマッシュ、P205、ドットイー・ティント(3代目)といった面々も持参した。
左から、マークシートシャープペンシル、スマッシュ、P205、ドットイー・ティント、クリックイレーザー、マークシート消しゴム
スマッシュは、先金・前軸一体型グリップや金属チャックなど、精密かつ大胆に書くことに集中するためのスペックが盛り込まれた、1本1000円以上のいわゆる「ちょっといい」シャープペンなので気分が上がり、思考も加速すると見込んだ。
P205は逆に、ザ・スタンダードとでもいうべき1本であり、ラバーグリップもついていないシンプルな1本として、取り回しが良さそうだと考えた。スマッシュとは、あえて方向性を変えてセレクトしている。似た系統のシャープペンばかり用意しては、リスク分散の意味がない。多様性が肝要である。
そして、今は失われしサイドノック式のドットイー・ティントは、私のアイデンティティの象徴、平たく言えば、お守りである。
以上の4種類計5本のシャープペン、そして2タイプの消しゴムを持参して、試験に臨んだのだった。
そして迎えた、試験中。私がマークをせっせと塗りつぶすのに使っていたのは、他でもない、ドットイー・ティントであった。最初こそ、マークシートシャープペンシルやスマッシュを握っていたのだが、早々に持ち替えていた。
一口にマークシート試験といっても、その方式はさまざまである。今回の場合、回答を即座に選択し次々にマークするといったタイプの試験ではなく、マークの数自体は少数で、その回答に至るまでに、メモをしたり計算をしたりといった工程を要した。その際、マークシート専用シャープの芯径1.3の筆跡は、普段芯径0.5に慣れている者にとっては、あまりに太かった。手は自然と、芯径0.5を求める。そして、そのままマークも塗る。いちいちマークシートシャープペンシルへ持ち替えるタイムロスを考えると、マークする時間を短縮できたとしても、微々たるものだと判断した。
さらに、多数の紙の資料を見る必要があり、並べたり広げたりで、シャープペンを手放すことも多かった。何度も机に置いたり取ったりをするのに、「ちょっといい」重いシャープペンは、大きな音を立ててしまったり、はずみで机やシャープペンに傷をつけてしまったりしたらと思うと、一瞬のためらいが生じる。その点で、100円シャープの手軽さは、ラフな扱いをするのにちょうどよいのだった。
そんなわけで、本命であったはずのマークシートシャープペンシルは使わずじまいだった。などと書くと、廃番品のドットイー・ティントを持ち上げて復活させたいがために、いたずらに現行品の評価を下げているかのようなので、関係各所からクレームがつく前に弁明させてもらうと、一緒に持ち込んだマークシート消しゴムは、大いに活用した。
板ガムを思わせるその薄い形状から、他のマークに影響を与えることなく、ピンポイントで消せるありがたみを実感した。一般的な消しゴムの厚みの半分以下、4.5mmという薄さでも、折れることなく、濃く塗ったマークもしっかりと消すことができた。他に、ペンタイプで繰り出して使うホルダー式消しゴムも持参したが、使ったのは専ら、マークシート消しゴムだった。
シャープペンについても、他にメモや計算をする必要がなく、次々とマークしてさえいけばよい試験であれば、マークシートシャープペンシルの独壇場であっただろう。実際、試験前に受験番号や氏名をマークするにあたっては、売り文句の通り、一往復させるだけで塗りつぶすことができ、実にスムーズであった。これなら試験も楽勝だと思ったものだ。
何事も、やってみなければわからないことがある。一口にマークシート試験といっても、形式は様々だ。形式を熟知していない場合、マークシート用シャープペン一本に絞るのではなく、通常の使い慣れたシャープペンも持っていくのがよいだろう。
これは、いざというときに自分が何を選ぶか、という実験にもなる。AとBが崖から落ちそうになっていたらどちらを助けるか、という類の問いと同様だ。崖のシチュエーションは多くの場合、頭の中の想像で答えることになるのだろうが、シャープペンに関しては、実際その状況に我が身を置くことも容易だ。なんらかの筆記試験を受ければよい。どのシャープペンも愛しており、甲乙つけ難い、と思っていても、両利きでない限り、どれかひとつを選ぶ必要に迫られる。それも、切羽詰まった状況で。
そのとき、手にするのが何かというのが、自分にとって試験で最も使いやすいシャープペンを表している。もはや考えるのではなく、感じるままに。無意識に手にした、それは、思っていたものと違う選択かもしれない。頭の中で考えて出した答えは完璧なように思えても、実際には、理屈に合わない行動をするのが人間だ。
私も当初は試験でマークシートシャープペンシルを使う気満々であっただけに、最後に自分が握っているシャープペンを見て、驚き、そして、納得したものだ。マークシートだからといって、それ専用のシャープペンが最適であるとは限らない。いざというとき、頼りになるものを知っているのは、己の手であったのだ。
この経験からいえることは、試験でマークシートシャープペンシルを使おうとするなら、普段からマークシートシャープペンシルを使って手に馴染ませておくべきだ、ということである。マークの練習はもとより、通常の筆記にも自然と使えるようになれば、なおよい。マークシート用のシャープペンだからといって、マークシート以外に使ってはいけないという道理はないのだ。計算やメモも、マークも、いずれも1本で対応できるようになれば、どんな形式の試験も恐れることはない。
とっておきのものは普段使いすべきでない、という考えもわかる。私も、良いものであるほど、もったいなくて使えずにしまい込むタイプだ。しかし、ここぞというときのために、勝負ペンとして後生大事にしまっておいたところで、初舞台で本来の力を発揮できるとは考えにくい。初めて履くシューズでレースに臨んで、好タイムを期待できるだろうか。
道具は、ただそれだけの単体で用をなすものではない。それを用いる使い手が存在し、両者の相互作用によって、結果を出すのである。道具に良し悪しがあるのと同じく、使い手にも得手不得手があり、互いの相性というものがある。それが、道具を使うということだ。
道具は人に歩み寄り、人は道具に歩み寄る。そうすることで、両者はこの上ない力を発揮することができるのだ。
02「専用」という言葉がもたらすもの
思えば、「マークシートシャープペンシル」とは不思議な名前だ。自ら、使用シーンを極めて限定的にしている。
人生でマークシートを塗る機会は、どれくらいあるだろうか。学生時代の試験の他には、資格試験や賭け事のシーンでお目にかかることがあるくらいのものだろう。筆記具を使う場面としては、メジャーであるとは言い難い。
しかしながら、あえて用途を限定する、その効果もわかる。
いろいろと言いすぎて、何も伝わらない、というのは、プレゼンでよくある失敗例だ。この連載もそうだと言われれば、返す言葉もない。
商品の宣伝にしろ、愛の告白にしろ、メッセージは絞り込めと、よくいわれる。筆記具に関していえば、「書く」という機能でもって、たいていの場合、勉強にも、仕事にも、メモにも、イラストにも、何にでも使える。なので、何にでも使えますよ、とつい言いたくなってしまうが、実際には、それでは伝わらない。何にでも使えるのは、当たり前だからだ。何も言っていないのと同じで、結局なんなんだ、ということになる。
それよりも、マークシート用、とあえて用途を限定することで、特徴がわかりやすくなり、興味を惹き、ニッチな市場でシェアを獲得することができるだろう。
このところ、唐揚げ専門店をよく見かける。専門というからには、さぞおいしいに違いないという期待で、ついふらふらと引き寄せられてしまう。その勢いで、小籠包専門店で小籠包を買い、たこ焼き専門店でたこ焼きを買い、サラダ専門店でサラダを買う、というようなことになる。
何かひとつに特化することで、目を引きやすくなるとともに、脳裏に具体的にイメージが浮かびやすくなる。「惣菜」では漠然としていたイメージが、「唐揚げ」で一気に具体的になり、それを食している未来が想像される。そうなればもう、未来を実現するだけだ。
人間が想像できるものは、必ず人間が実現できる、という。逆に、何かを実現するにあたっては、まず想像するという段階がある。思いつきもしなければ、何も始まらない。ゆえに、想起しやすさ、想像しやすさというのは、競合に対して、選ばれる上での大きなアドバンテージとなる。
絞り込むことの効能は、人間についても同じで、オールマイティの万能人というと、とっさにはレオナルド・ダ・ヴィンチしか浮かばないが、何らかのスペシャリストというと、メディアで見かけるあの人やこの人が次々に思い浮かぶ。各分野にスターと呼ぶべき存在はいて、この分野ならあの人、という棲み分けがなされている。
専門、あるいは専用とは、何かに特化して、ステータスを全振りしているのだから、それだけ良いものであるはずと期待する。とはいえ、ステータスの上限値が誰でも何でも同じとは限らないので、普通に全分野カンスト(※)ということもあるだろうし、何か苦手な分野があることがすなわち、引き換えに得意な分野があるということを意味するのではないというのは、何にでも言えることなのだが。何も失わずに何も得ることはできない、とはいえ、何かを失ったら必ず何かが手に入ると約束されているわけではないし、何も手に入らないとしても、進まなくてはいけないときもある。
※カウンターストップの略。数値のカウントが上限に達し、それ以上のカウントがストップされること。
かように、「専用」という言葉は、ただのモノをそれ以上のモノにする。
主人公専用機は、主人公にしか駆れないものと、相場が決まっている。選ばれし者にしか許されないことで、そこに付加価値が生まれ、憧れを抱かせる。
筆記具における、その最たるものに「製図用シャープペン」という、シャープペンのひとつの分野がある。精密さを求められる図面の製作に適した性能を有し、芯径ラインナップの幅広さを特徴とする、高級な専門道具だ。町の文具店などでは、一般用シャープペンとは別の奥まったコーナーで、製図・アートの専門的なツールとともにショーケースに入って取り扱われていたりする。
今や、実務において手書きで製図をする機会は珍しくなり、専用のシャープペンも、もはや必需品とはいえないが、「製図用シャープペン」というカテゴリは、当社のカタログになお現役で使われているし、昔からの愛用者だけでなく、デジタルネイティブの若者にも根強い人気がある。実際、製図をするわけではなくとも、学生時代に、普段使いのちょっといいシャープペンとして使っていた、あるいは周りが使っていた、という人も多いだろう。
安価なプラスチックのシャープペンとは異なる、グリップを中心に金属パーツの用いられたメカメカしいスマートなデザイン、確かな存在感と重厚感、手にするたびに身の引き締まる感覚。正確に芯を送り出し、保持する、その内部には、専門家も認める精緻な機構が詰まっているのだ。性能を突き詰めた道具に共通して感じられる、機能美が宿っている。
外観でいえば、使用中の芯の硬度を区別するための芯硬度表示窓、短めで取り外し可能なクリップも、製図の際の使い勝手を考慮してデザインされたものだ。特に、表示を自由に変えられる芯硬度表示窓は、「製図用シャープペンらしさ」を感じさせる特徴的なパーツであるが、一般使用上は、なくても特段、支障はない機能ともいえる。
もちろん、そのスペックのすべてを活かしてポテンシャルを最大限に引き出すべく、同じ製図用シャープペンを複数本揃えて別々の芯を入れ、芯硬度表示窓を切り替えて使い分けてもらっても一向に構わないのだが、普段使いとしては、特に活用はしていないというケースも多いことだろう。
筆記に関しても同じで、別に製図用シャープペンを使うからといって、あたかも製図をするかのように、定規を使って均一な線で緻密なノートを取らなくてはいけないといった決まりはない。普通のシャープペンと同じように使ってよい。
しかし、たとえ実行する機会はないとしても、いざというとき、できることがあるというのは、心の持ちようが変わってくる。能ある鷹は爪を隠すとでもいうか、俺はまだ20%の力しか解放していない、とでもいうような、底知れない強者感がある。
いざとなれば製図もできるポテンシャルを秘めたシャープペンを、自分が使っているというよろこびを与えてくれる。それが、日常で製図用シャープペンを使う理由のひとつだ。
自分がモノによって何らかの制限を受けることはない、という保証。すなわち、何か不測の事態があっても、モノを言い訳にすることはできなくなり、己の力を問われることになるわけだが、それにより、自分が通常より力を発揮できると感じられる場合もある。
かく言う私も、学生時代、製図用シャープペンこそ使っていなかったが(その遍歴はこちらで書いた)、落下衝撃や水圧といったショックに耐える堅牢性を誇る腕時計をつけていたことがある。別に、落下したり水没したりといったハードな状況に身を置く予定はなかったのだが、中学生が単純に「かっけー」という気持ちを抱くのを、誰にも止めることはできない。なにしろ、世界の特殊部隊をはじめ、過酷な現場で働く人々にも愛用されているという触れ込みである。これが憧れずにいられるだろうか。
その道のプロと同じものを使っているのだ、という意識は、まるで自分が何者かになったかのような感覚を与えてくれる。それをつけているとき、私は自分がタフな人間になったような気がしていた。今ならグラウンド10周など、たやすいものに思えた。まず形から入る、という言葉があるように、その意識が先行して、本当にタフな人間になる、ということもあるのだろう。いわゆる、予言の自己成就である。一方で、私のように、形だけに終わる人間もいる。いっときのはかない夢であった。
まあ、人生でいつ何が起こるかわからないので、いざというときに壊れない腕時計を持つというのは、念のための保険のようなものだ。胸のペンダントが銃弾を防いでくれるシークエンスのように、それで窮地を救われることもあるかもしれない。ある日、突然に命懸けの製図を迫られる機会も、絶対にないとは言い切れない。そのとき、心から、製図用シャープペンを持っていてよかった、と思うのだ。たぶん。
プロの道具といえば、これは余談だが、サインペンは毛細管現象を利用しているため、重力を利用して機能する通常のボールペンと違って無重力でも筆記できるという特徴があり、実際に宇宙へ持ち出されている。1960年代のことだ。
宇宙飛行士という、めちゃくちゃ専門的なプロフェッショナルが認めた道具というわけだが、それをもって「すげー」といって買ってくれた人の話は聞いたことがない。これを知った人はぜひ、宇宙へ行くときに備えて、サインペンを常備しておいてほしい。
なんであれ、プロが認めた、という枕詞は、素人の心に響くものがある。だから、企業としては、有名人に宣伝文句を拡散させたがる。だが、一歩引いて見れば、それが広告ならば契約に基づいて言っているのだろうなとわかるし、そうでない場合には、「PR案件では?」という見方が先に立って、いったいどこまでが本心なのか、かつてのように無邪気には信じられなくなっている。
それでいうと、「製図用」というのは、プロフェッショナルを感じさせつつ、個人の顔が見えることのない、便利な概念だ。手書きで製図をしない時代になって、もはやそれで製図をしている人の実在が確かめられなくなっても、「製図用」という呼び名は、クオリティを保証する文言として、残り続ける。書く、を極めたという、ひとつの概念だ。他に代わりがきかないし、今後、手書きの機会がますます減っていく中で、新たな言葉が生まれる可能性も低いだろう。
もし、製図用シャープペンが製図にしか使われていなかったなら、時代の流れとともに、ひっそりと姿を消していたかもしれない。しかし、もはや「製図用」は、本来の用途という枠を超えた概念だ。製図に使えるというくらいなら、そのほかの用途にも使いやすいはずだと考えるのは、自然なことだ。結果、専用ではなく、汎用としても高い評価を得たりする。製図用だから、他の用途に使えない、ということはないからだ。
まさに「製図用シャープペンのスペックを一般筆記用シャープに」というコンセプトで生まれ、精度と頑丈さを兼ね備えたスマッシュが、発売から35年以上経った今も人気というのも、頷ける話である。
03君たちは道具をどう使うか
限られた対象に向けて、性能や特徴を突き詰めた結果、それ以外の人々にも勧められるものになる。これは、製図用シャープペンに限った話ではない。
学童用の画筆であるネオセーブルは、手入れが簡単なナイロン毛、転がり防止形状など、子どもにとっての使いやすさを重視した性能を備えつつ、安価でどこでも手に入りやすい製品だ。その結果、誰しもに使いやすいものとなったことで、今では大人の描画用やプラモデル塗装用(※)としても評価を得ている。
※水性塗料のみでお使いいただけます。穂先が割れてしまう場合があるので、有機溶剤が含まれた、うすめ液・リターダー・洗浄液に浸すことはお控えください。
同じように、多くの人にとって幼稚園や小学校で使うものというイメージが強い、クレヨンや水彩えのぐにしても、立派な画材として愛用されていて、「まさか、この絵が学童用画材で!?」とSNSで話題になったりする。
ある人々にとって使いやすい、ということは、それ以外の人々にとっては使いにくいということを意味するのではない。むしろ、研ぎ澄ませた結果、より広く受け入れられたり、思いもしない活用法が見つかったりする。
ここまで述べてきたように、「製図用シャープペン」を一般筆記に使っても良いし、「専門家用パス」をアマチュアが使っても良いし、「大人の水彩パステル」を全年齢の人々が使っても良い。「修正液」で絵を描くことも、「マークシートシャープペンシル」で楽譜を書くことも、自由だ。
そもそも、もとはぺんてるの商標であり、今や一般名詞化した「サインペン」とて、「サイン」にしか使ってはいけないのかというと、そんなことはない。むしろ、実際にサインや署名用として使っているという人はあまり見かけない。裏抜けしにくいことから、書籍へのサインに使われているのを見かけるくらいだろうか。なお、サイン色紙に書くなら、筆記線がある程度太い方が見栄えが良いので、ぺんてる筆やマーカーの類がおすすめだ。
サインペンも、発売当初は署名や宛名書きに重宝されたことだろうが、今や、一番売れているカラーは黒ではなく赤であるし、よく見かけるのは学校、放送業界、競馬場あたりだ。ゆえに、「先生ペン」「作家ペン」などと呼ばれたりする。あと、意識の高いクリエイティブな人々がブレインストーミングをするときによく使っている気がするが、そうだったらいいなというただの妄想かもしれない。
60年前のメーカーの意図はどうあれ、世の中での使われ方が移り変わっていく中で、自然と新しい価値が見出され、新しい名前を獲得する。誰が「こう使うんですよ」と主導したわけでもないのに、この場面にはこれ、と定番化していくというのは、不思議なものだ。さまざまな使われ方に分散していきそうなのに、むしろ、いくつかの方向に集約されていく。
それは、圧倒的な試行錯誤の先で行きついた結論なのだろう。その裏で、消えていったものも数知れない。使いやすいものだけが残り、広まり、受け継がれていく。いわば自然淘汰。
もちろん、意図的な仕掛けというものもあって、話題化や用途提案は企業のマーケティング担当者の腕の見せ所であるし、うまくすれば市場を席巻し、成功談として華々しく語られることになるわけだが、それも評価されるだけの潜在的な素養があってこそである。まったく実力にそぐわず、向いていないものを、作り手の都合で一方的に「○○向き」といって強制することはできない。できたとしても、続かない。
道具をどう使うか。それは、使い手が道具との関係の中で、自ら見出していくものだからだ。
04自分だけの道具との関係。「自分専用」を探して
高価な製図用シャープペンと、安価な汎用100円シャープペン。まったく方向性が違うモノなのに、それぞれに愛用者がいて、いずれもそれが一番書きやすいと思っている。
私は先日、原稿用紙10枚ほどの文章を手書きする機会があったのだが(始末書ではない)、自分の中で一番ましな字が書ける唯一のペンであるところの、エナージェルを使った。字が下手な人間が手書きの練習をした話でも書いたように、私にとっては、エナージェルは「人に見せる文字書き用ペン」ということになる。
同様に、「電話メモ用ペン」は、コスパ重視で油性ボールペンのカルムであるし、「資料書き込み用ペン」は、印刷文字と区別しやすくて他人からは見えづらいエナージェルインフリーのラフグレーと、場面によって専用のペンが決まっている。
かたやシャープペンは、社会人になって使用頻度が減ったこともあり、厳密な区別はない。オレンズか、スマッシュか、P205か、そのとき手近にあるものを使う。それで特に不便を感じたことはない。
だが、冒頭で書いた試験のような、とにかく時間に追われながら書くというシーンでは、自然とドットイー・ティントを手にしている。ならばやはり、私の中でシャープペンといえば、学生時代から変わることなく、ドットイー・ティントなのだ。ノート用であり、試験用であり、創作用であり、いかなるシーンにおいても用いる1本。
あらゆる「専用」が集約されたとき、それは、「汎用」になる。あえて専用というなら、「自分専用」のシャープペンだ。むしろ、私がサイドノック式シャープペン専用の人間である、ともいえる。
道具の働きは、人との相互作用だと、先に書いた。何がその人にとって最適であるかは、本人にしか、あるいは、本人にさえ、わからない。人は、機能やスペックだけで、道具の良し悪しを感じるわけではない。人によって、状況によって、判断は変わる。
道具は人になじみ、人は道具になじむ。そこで築かれる関係は、唯一無二であり、他者が同じようにしたところで、再現することはできない。
数多くの選択肢がある中で、最適な道具は、一人ひとり違う。他人から見れば、チープな100円シャープペンかもしれない。塗装が剥げて、グリップが薄汚れたボールペンかもしれない。
妙に手に馴染み、なんだかんだいって、使い続けているもの。
メジャーであれ、マイナーであれ。
専用であれ、汎用であれ。
それが、かけがえのない「自分専用」なのだ。